2009-07-20

プラズマ兵器は核の1万倍!-2


このエントリーの主題である反物質は、我々の宇宙には存在しえません(以下参照)。したがって、このエントリーの記述にある「反物質」を「プラズマ」に置き換えて読む必要があります(2013319日追加)。
ユミットの情報操作について

ソ連の電磁気砲について:
前回の「SL9」の話を続ける前に、物理学と(極秘)軍事テクノロジーの進歩についての解説を少しばかりしなければなりません。つまり、1945年の広島・長崎への原爆投下のあとの、アメリカで実施されたDPS(防衛サポートプログラム)32プロジェクトのことや、ソ連のアンドレイ・サハロスが1952年に実験した電磁砲のことが同書に紹介されています。

この電磁砲とは、15キロの火薬でソレノイドの磁場を圧縮して100テスラと2500万程度の気圧を得て、2グラム(単位の間違え?)のアルミ二ウムをプラズマの「煙の輪」に変えてしまい、秒速50km100km?)程度でそれを発射するという。この電磁砲を真空中で使用して、ロシア人(アメリカも?)ロケットや宇宙ステーションを攻撃する砲弾として使おうとしたらしい。キラー衛星による自爆攻撃や、2007年に多数のスペースデブリをバラまいた中国のASAT(衛星攻撃兵器)なんかに比較すればスマートな方法なんかな?

ただ残念ながら、ここの記述と図がよく理解できない。やはり訳者が理解せずに翻訳しているからでしょう。以下は私が原図を基にして想像したその原理の断面図です。適当にケッ飛ばして解釈すると、火薬が砲尾で爆発すると磁場によって超高圧になったガスが真空空間へ押し出され、アルミの環を発射させる。このアルミは蒸発して秒速50mの閉じ込められたプラズマの輪の砲弾になる、ってなことなになるのかな?調べたら、火薬なしの「レールガン」(要するにMHDの応用)として「ウィキペディア」(ここの図もまた理解しにくい)に載ってました。


というわけで、電磁砲はこれぐらいにして、いよいよアメリカのプラズマ科学を使用したちょー兵器について触れることにしましょう。それで、アメリカはソ連や中国(1986年のボストンの学会に参加したように、MHDに関してはプロだという)に対して、高性能な超伝導体(ソ連の電磁砲には使われていない)や進んだテクノロジーの面で決定的に有利だったとしています。

なぜなら原子を素粒子に分解してしまうプラズマがすでに実用化されていて、「プラズマ・ガン」でネヴァダの地下にTNT火薬100キロトンに相当するエネルギーを発生させ、直径400m、深さ150mのクレーターなんかを、使う予定もないのに造っちゃったらしい。1961年におこなわれたこの「セダンの実験」によって、アメリカはついに反物質を手にしたらしい。

現在、オバマ大統領がロシアへ行って核軍縮の話なんかしたりして世界をたぶらかしてるけど、そんなのはお人形さん大統領たちが人形劇で演じている以上の意味など持たないんでしょう。北朝鮮の核だミサイルだ、イランの核装備だと騒ぐことなんぞ、ヒツジさんがメエメエ泣いて騒いでいるみたいなモンかも。人類が初めて反物質を得たのが1961年なんですよ!みなさん。核兵器なんてのは、はるかに時代遅れの兵器なんだから。

そんで今を去ること20年以上前の1980年代に、モスクワのサミットにハゲ頭の小柄な男がやってきたんだ、とプチ氏が話します。それは当時のゴルバチョフ大統領のことで、なんと!ユミットが東西間の核パラノイア(キ印)を止めさせようと、彼にコンタクトしたという。で、ちょっと探したら以下の記事が出てきました。そのあとはみなさんご存知のように、軍拡競争に一応ブレーキがかけられたということです。

2004年に亡くなったアメリカ元大統領のロナルド・レーガンさん。彼のことを書いた本を執筆したDarwin Porterさんによると、レーガンさんは大統領時代に宇宙人がアメリカを侵略するのを恐れていたっと言うのです。又それだけでなく、宇宙人は地球を数十年に渡って監視していると信じていたと言われているそうなのです。

レーガンさんは生前に友達に「UFOを3回見たよ。それらは西にある砂漠に着陸していているんだ。」っとも話していたそうで、どうも何らかのUFO情報を持っていたんじゃないですかネ・・・・。ただしかし、レーガンさんの娘さんであるパティー・デイビスさんによると、そういう話について父は冗談を言っていたのかもしれない・・・っと話しているそうです。

当時のソビエト連邦の大統領であったミハイル・ゴルバチョフ氏によると、アメリカとソビエトは宇宙人の侵略に対しては協定を結んでいたそうで、レーガン元大統領はゴルバチョフ元大統領に「もしアメリカが宇宙からの何者かによって攻撃を受けたら助けてくれるかい?」っと話していたそうです。
レーガン元大統領は宇宙人からの攻撃を恐れていた?

しかしながら話を戻すと、先行するアメリカは、その軍拡競争防止の一環である1967年の「宇宙条約」(とりわけ4条)から隠れて「AMPTE計画」を開始し、1984816日にデルタロケットを発射して実行したという。すなわち、1年間にわたって地球内外のさまざまな磁気圏にバリウムとリチウムの「雲」を作り、地球の磁気圏と太陽風の相互作用を調べたという。そしてこの実験には、ドイツ・イギリスなどの複数の研究所が(知らないうちに?)協力したらしい(まあ、現在の日本でもニュートリノやHAARP?あるいはケムトレイルとかで協力してるんだろうから、驚くほどのことじゃない)。

この実験は、木星でおこなった反物質兵器実験をカムフラージュするために、バリウムとリチウムのミックスを太陽光線でイオン化させ、爆弾モジュールを彗星に見せかけるための、隠蔽作戦のイッコであったとします。それは、「私はこのまったく奇妙なみかけの物体にたまたま出くわした。てっきり彗星だと思ったが、それにしてもこんな奇妙な彗星は初めて目にした」、と、発見者のキャロライン・シューメーカーが話したらしいことからうかがい知れるでしょう。

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