前回触れた南米エネルギーサミットは、ベネズエラとブラジルの意見の食い違いに終わったようです。両者には領土紛争ではなくても、日中で懸案になっている尖閣諸島の石油、天然ガス資源問題に似てなくもない関係があります。南米に社会主義波及を目指すベネズエラとその生徒であるボリビア。
ブラジル政府と石油会社のペトロブラスは、去年のボリビアの電撃的な(ペトロブラスを含む)石油施設の国有化とパイプライン経由天然ガス供給価格の一方的引き上げにより、一敗地にまみれています。とくにブラジル側が設置したパイプラインによる天然ガスの供給が脅かされているのは大問題です。チャーベスにそそのかされたボリビアのモラーレス大統領が、資源外交に目覚めた結果としてこうなったのです。
チャーベスが会議で先生よろしく、南米首脳にベネズエラのエネルギー資源開発とその恩恵を説き、バンコ・ド・スール(南米開発銀行?)の設立を提案したのですが、ブラジル大統領、ルーラは、「は?なんのための銀行?」、と応えたと新聞の記事にありました。ボリビアを煽ったくせに、ベネズエラからアマゾンの環境破壊のリスクを犯してまでパイプラインを造るだって?
ルーラは左派労働党のオヤブンだったため、本来ならチャーベスとお友達になっておかしくないにもかかわらず、飲み物(石油とエタノール)の好みが合いません。ナショナリズムもあるかもしれませんが、大統領として2期目になって多くの経験をした、ルーラのリアリズムがそうさせると思われます。
ここで例のごとく脱線します。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を産経の夕刊で読んでいたときは、まだ正岡子規が死ぬ前の、秋山兄弟との親交に関するエピソードが描かれていたときでした。
よんどころない事情によって途中で読めなくなり、長いあいだ忘れていました。こちらに帰ってから再び読む機会を得て読み終えたとき、常々日本の小説に欠けていると思っていた、物語に時空の広がりがあることを発見し、やっと好みの読み物に出会ったと感じました。そして小説の中で司馬氏は、しばしば(これは意図してダジャレにしたのではありません。誤解のないように)「リアリズム」について触れています。そんなところで以下の記事を読みました。
田原総一朗:駐日大使出演交渉で分かった温家宝首相「来日の意図」
記事中、「日中同時生放送は中国国民へ向けたメッセージ」のタグで、「僕は去年、おととしと2回、香港の政治討論番組に元首相補佐官の岡本行夫さんと出演して、中国の有識者と討論をした。そのときに多くのテレビや新聞の記者に取材を受けたが、日本から中国に約3兆円の政府開発援助(ODA)を支出していることを、ほとんどの記者は知らなかった」、とありました。これは中国のほとんどの国民の認識について言えることでしょう。
実際、ネット内のどこを調べても、中国が日本のことを国民に知らせていなかったことは明らかです。原因は、江沢民前主席、あるいはそれ以前からの政治的、戦略的な思惑から発しているのでしょう。ただ温首相の今回の訪日で、「そのODAのことを今回、温家宝首相は日中同時生放送で触れたのだ。温首相のメッセージは、日本の国民に対して30、中国の国民に対して70のウエイトがあったと思う」と、外交のオミアゲ持参を忘れなかったようです。なにオマエそんなわかりきったゴタク並べるんだ?ですって?
私は(太平洋戦争の)戦前戦中の日本国民のことを連想しました。日露戦争では、戦争以外の要因(ロシア革命)にも助けられ、辛うじてロシアに勝った形で戦争を終えることができた日本でした。当時の指導部には、その認識に確たるリアリズムがあったにもかかわらず、結局のところ国民に本当(国庫がカラだったとか)のことが知らされず、戦勝のために自己の大きさを見誤りました。それが後の指導部に逆投影されて慢心になったあと、中国へ進攻してロシアと衝突したあげくの、無謀ともいえた日米戦争へ突き進むことになりました。
国民がリアリズムを持たない国家に未来があるとは思えません。私には、胡錦濤主席や温家宝首相はリアリズムを持った政治家であるように思えます。以前の指導部の、相手を脅して屈服させるといった拙劣な方法から、覇権国らしい、少しばかり洗礼されたインテリジェンスを日本に対して使うことを考えているのでしょう。このため国民を再教育していこうという努力もするでしょう。
しかしながら、まだ中枢に根強い影響力をもつ反対勢力の指導者達とは、現在も権力闘争中にあると考えられます。ゆえに両者が権力を完全掌握する保証など、当然ながらまだ先のことだと考えられます。したがって中国国民が相変わらず世界に対するリアリズムを持たない状態が、日本国民がかつて「鬼畜米英」と言ったように、情念的、攻撃的な認識もこの先継続するものと思われます。
来年のオリンピックでは、行儀良くするように即興教育されるみたいですが、政治的にゆがめられ、洗脳されてしまった対日認識がそんな簡単に解消するとは思えません。これが何を意味するかというと、日中関係が全く逆転した、日本のいつか来た道の再現ではないでしょうか。
ついでに韓国についても言及すれば、ネット内の情報からどう見てもはなはだしく自己中な隣国は、リアリズムの欠如が中国よりひどいのではないかと感じています。アメリカの今回の事件から教訓を引き出し、自己の気質を見直す必要があるでしょう。まあ、ムリか?繰り返しますが、憲法9条は、20世紀後半の比較的安定期であったからこそ通用したファンタジーです。過去のように日本が戦争をしかけるということでなく、今度は侵攻されるかもしれないしれないという立場で、日本はリアリストであるべきでしょう。
このブログ中のタイトル、「取引の圧力材料か?」について、ブッシュ政権までが「慰安婦」を非難した理由のひとつは、日本に「普通の国」になってもらいたいための条件として、過去の誤りを全面的に認め、隣国や世界に向かって侵略の意思などありません、ということを示すべきだというサインかもしれません。ドイツがそうしているように。安部首相は「カラスを食べる」と思いますが、もしそうなら、我々も改憲のためには、このことを認識すべきかもしれません。
さて、4月も月末になりました。アメリカはイランの核施設を攻撃するでしょうか?
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