2007-04-17

21世紀に大変革は起こるか?-13

12日に衆院で可決された国民投票案が参院にまわされました。私がかねてから感じていることは、日本人の長所であり欠点である生真面目さというか、悪くいえば保守的で柔軟性のなさが隣国の中韓というより、世界の「普通の国」との相違でしょうか。いえ、あなたのことを言ったのではありません。一般論としてです。

日本製品のあくまでも緻密でこだわった品質の良さ、信頼性の高さなどは、簡単に真似のできない文化に根ざした長所でしょう。ところが外交となると、たぶらかすことに長け、海千山千の環境で鍛え上げられたと考えられる政治家を相手にするには、決定的に不利になると思えます。ただしこれは、同じことをすべきという意味などでなく、あくまでも認識と自覚の問題で、対応には常に柔軟性を持つべきだということです。

次は、「憲法改正 国民投票」のキーワードで検索したら出てきた2番目の記事です。一番目は「憲法改正 国民投票のニュース検索結果 」でした。
「憲法改正国民投票法案」の問題点

文中、次の記述がありました。私は日本国憲法を詳しく読んだことがないし、法規もよくわかっていないヤカラですが、これには賛否以前の問題があると思います。

「問題は、憲法9条を中心とする日本国憲法の平和主義原則を、その限界とすることができるかどうかということです。これを限界とする説もあります。こんにち、その限界の内容としてどこまでを設定するかということは大きな問題でありましょう。憲法改正権の限界というのは法理論上の問題で、事実問題としてはそれを無視してすすんでいくこともあります。しかし、憲法改正権の根拠である憲法の基本原理そのものを改正してしまう、なくしてしまう、あるいは侵害することは法論理的に認められることではない、というのが学説の考え方です」。

1988年でしたか、軍部独裁が終了してからしばらく経ち、ブラジルで当時の憲法を一新する憲法制定議会がありました。このとき大統領制を続けるか、それとも議院内閣制を採用するかといった議論に、王制にしようという意見も飛び出して私をびっくりさせました。しかしながら考えてみれば、議会で堂々とそれを主張する議員を映したTVニュースを観て、日本的な発想をした私が間違っていたのかもしれません、結果的にそれは、私の価値観までに影響を及ぼしたかもしれません。ただ残念なことに、この議員がどんなことを言ったのか全く覚えていません。

どこのどんな国でも、憲法に改正が必要であるという議論が出てきたとき、基本原理であろうとなんであろうと民主的に論議したうえ、やるやらないにかかわらず民主的に決まればオーケイのはずです。ちがうかな?

PB Net」に立花隆氏の記事、「改憲狙う国民投票法案の愚憲法9条のリアルな価値問え」がありました。当時のひとつの「エピソード」として興味深く読みました。平和に徹したからこそ繁栄を享受できた、ということでしょうか?以前からの記事から想像すると、立花氏の信念なんでしょうね。平和を固く信じて暮らすのは、それなりにメリットがあり、いつまでも可能ならすばらしいことだと思います。懐かしい20 世紀でしたらこういった議論も有益かもしれません。しかしながら、すでに世界の政治環境が大きく変わりつつあります。

環境の変化を見抜けず、それまでの成功体験がのちに自らを滅ぼした、といった話が腐るほどあります。日本は鞘当を始めだした強国同士に挟まれています。あなたがこのとばっちりから自分を守りたいならどうするか?天災と同じことで、起こりえることに備えるのは当然なことでしょう。さけられる限り避けたとしても、なにが起ころうと最後まで対峙しないなど、混沌と隣り合わせた普通の人間には考えられないことです。

それに自衛するための強力な武器を持ちながら使わないと言い訳しても、普通なら、はなっから相手が信用するはずありません。また逆に考えれば、場合によればいつでも使うぞという意志を見せなければ抑止力にもなりません。そんな政治的なジレンマの産物をいつまでも引きずっているなどバカげています。現実的とは思えない「平和原理主義」は、早いところ放棄すべきでしょう。重要なのは環境に適応する柔軟性です。

ちょっと脱線します。ジョセフ・S・ナイ の「ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力 」という本が出ていて、覇権国のハードパワーとソフトパワーについて論じられているようです。塩野七生氏の「ローマ人の物語」から派生した「覇権のソフト面」というアイデアでしたが、ナイの本について知りませんでした。本といえば、ついでながら去年、「文芸春秋」に掲載された要約記事だった、アメリカ在中の中国人、趙無眠氏の「もし日本が中国に勝っていたら」が出版されています。21世紀の覇権国をめざす中国の、そのベースとなるテイストが含まれているのでは?と思えます。

本題です。ブラジル農工業の希望の星、エタノールが注目されたのはメデタシでした。でもこんなとき、たいてい起こる副作用はなんなのか?といぶかっていましたが、さっそく作物の高騰ということで出てきました。これでアメリカやブラジルの農場主は喜んだでしょう。

月初めにブラジルのルーラ大統領がアメリカへ出かけ、エタノールの供給についてネゴッたと言われています。まだお友達同士になれない、おなじみベネズエラのチャーベス大統領が、それがいたく気に食わなかったらしく、エタノールやトウモロコシは人間や家畜が食するもので、車に飲ませるものじゃあるめえ、とイチャモンつけていました。中南米では、トウモロコシが主食のところも多いんですね。

そして今週、ブラジルに対する非難については、チャーベスが自分の口のチャックを閉め、南米エネルギーサミットを召集しました。さてどうなることでしょう。ウィキペディアの「アルコール燃料」に(誰が書いたのか実に)詳しい記事がありましたので、興味のある方、参照することを勧めます。
【アメリカを読む】エタノールが問う「食料は資源か」

エタノール燃料ブームが食糧危機を悪化させる=米研究

これは余談になりますが、ブラジルの混沌のひとつとしてガソリンスタンドの犯罪があります。つまりガソリンへの不法な異物混合です。エタノールの混合(混合率が決められている)ではありません。スタンドや元売りが利益を大きくするため、より安価な石油抽出物や水を混ぜてしまうのです。最近は聞きませんが、このためガソリンスタンドで給油したとたんエンコ、なんてことが多かったですね。

以前修理ヤでヘッドを取り外したエンジンを見せてもらったとき、よくエンジンが動いていたもんだ、と感心するぐらいスゴい量のカーボンが詰まっていました。口コミなどでガソリンスタンドをよく選ばないと、エンジンが不調になること請け合いでした。

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