2007-05-08

21世紀に大変革は起こるか?-22

この拙文を書いているうちに、地球の環境破壊について自分が誤ったイメージを持っていることに気がつきました。人類によって徹底的に環境破壊、汚染されてしまった地上は、長期に渡って取り返しつかないほどのダメージを受けてしまう、というものです。以前私は400の温度上昇など、地球からすれば屁でもないと書きました。

例えば未来に大戦争が起こって、人類が持てるだけの核兵器を地球上にばら撒いて破壊つくしたとしても、地球上の全ての自然を破壊、汚染し、作り出したゴミで宇宙空間(スペース・デブリ)まで埋め尽くしたとしても、人類は滅びるかもしれませんが、地球が滅びるわけではありません。そんなことがあったとしても地球は何事もなかったように、さらに何十億年と宇宙空間に存在し続けるでしょう。

そして人類がほんのちょっとした瞬間にパーティーをやって汚した表面を、地球は肩のホコリを吹き払うように、瞬間でキレイさっぱりと掃除してしまうものと思えます。億年単位で見たら、現人類のなんの痕跡もたぶん残さないんでしょうね。

そう考えると人類は、今という、たかだか何万年かの最適な環境で、単に幸運な瞬間を地上で謳歌しているだけかもしれません。「デイ・アフター・トゥモロー」、「ディープ・インパクト」、「アルマゲドン」など、SFクライシス映画が描くようなことは馬鹿げていると、例え斯界の大権威が保証したとしても、私を完璧に(起こらないと)信じさせることなどできるでしょうか?すでに記述した地球温暖化について、金星、地球、火星の関係をおぼろげながら知ったとき、惑星の時間単位でなにか驚くべき出来事があったのでは、と妄想しました。

人類は紛争や戦争などにうつつを抜かしているヒマなどないかもしれません。人類はナベカマなどいっさいがっさいを積み込んだ宇宙船を建造し、とりあえず火星かどこかへ逃げ出す準備をしておくべきかもしれません。速いとこ現在のロケットのような、ワットの蒸気機関モドキが高速道路を走る感じのテクノロジーから脱し、なんとか星人のUFOのような進歩した、洗練されたテクノロジーを開発してそのときに備えるべきでしょう。

まあ、ナニナニ星人と技術移転について直接交渉する手もありますが、相手がこのビジネスに乗ってくれるかどうかですね。バーター取引になると思いますが、はて、なにがあるだろ?あり余る労働力?調子に乗ってちと脱線しすぎたかな?

少しばかり現実にもどって、では「自己規制」、つまり人間の情念をコントロールする方法とはどういうことでしょうか?間接的には徹底的な教育で、別の見方をすれば(悪く言えば)洗脳です。これには現在の世界中の混沌で起こっているような、生まれてからバラックやゴミにまみれた道端に事実上放置された子供の姿などありえません。このためには徹底的なバース・コントロールもおこなわれなければならないでしょう。

子供達は学校で情念をコントロールするすべを、共存していくための自覚を植えつけられるでしょう。それでも情念をコントロールできない子供もいると考えられますので、より直接的な手段がもちいられるかもしれません。これには脳医学の発達が寄与すると思われます。とは言っても、別に前世紀のロボトミーのようなオドロオドロしいことではありません。

10年以上前でしたか。「宇宙人ユミット」について書かれた本を読んだことがあります。ヨタ話の本として読んでも、なかなかすばらしいインスピレーションを得られる内容で、興味深く読んだと記憶しています。この中の脳の科学に関する記述は、ほとんど理解できなかったけれど想像する助けになりました。そのように脳で起こる現象がもし詳細に解明できたなら、前述のような場合、MRI(核磁気共鳴画像法)装置のような見てくれのシステムを使って非接触に、異常と判断される情念を不活性にすることもできると想像します。例えばどうにも始末しようのない、殺人前科ん十犯?の凶悪犯(ブラジルでは、廃止されたので死刑にできない)が刑務所から脱走して再犯に及ぶといったことも防げるでしょう。

ついでに「ユミット」について検索したところ、次のサイトがありました。信じる信じないは別として、改めてなかなか興味深い記述です。なおこのサイトのユミットによる指摘では、「現在、極秘のうちに地球で開発が進んでいるというプラズマ兵器は、完成すれば一発で地球全体をガラス状に焼き揚げる程の破壊力がある」そうなので、この文章の最初のパラグラフに書いたことは、ちょっとばっかし影響を受けるかもしれません。
魂のネットワーク

週末のサン・パウロ市のど真ん中、プラサ・ダ・セ(セ広場)でビラーダ・クルトゥラウ(文化の回帰)と呼ばれるイベントの一環として、人気ラップ・グループのショーが催され、またまた広場の周辺をメチャメチャにする暴動に終わりました。いつものことです。

ついでに余計なことを書くと、フランス大統領選挙は、保守系のサルコジ氏の勝利に終わりました。この結果は妥当なところで、私は日本にとっても悪いことではないと思いました。ついてはタイトル、「フランスの反日政治家と中国好きのサルコジ」 by 先っちょマン氏に「ウサギ小屋」についての記述がありました。私も当時の舌禍騒ぎを思い出しましたが、韓国などの特殊な国柄を除けば、このたぐいのことには誤解があることが多い、と日ごろ感じています。興味があって検索してみたところ、次のブログに以下の文章がありました。
愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 「『ウサギ小屋』は誤訳だった

「おかしいな、とよく読むと、原本はフランス語で、英語に翻訳されたと注釈があります。ウサギ小屋については原文では「cage a lapins(カージュ・ア・ラパン)」。辞書で「lapin」を調べると「cage a lapins」で一つの成句になっていて、「画一的な狭いアパルトマンの多くから成る建物」と定義してある。つまり、都市型の集合住宅のことを表す俗称で、別にほめる意味はないが、侮辱する意味で使ったものでもないようだ、ということに気付きました。フランス人の住むパリの集合住宅もこう呼ばれます。何も特に日本を揶揄するために新たに作った表現という訳ではないのです」

私には、やはり誤解であった可能性が大きいと思えます。

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