2007-05-14

21世紀に大変革は起こるか?-25

政治体制の大変革:
書いている本人自身驚いているのですが、このタイトルでごちゃごちゃ書き出してから、今回でなんと25回目になりました。大体の結論は用意していたもの、途中でどんなあんばいになるか予想できませんでした。でも書いているうちに、ホントに残念なことに、他の(もっと奇想天外な)オプションを思いつくことができませんでした。

まずは常識的になってしまった結論を言いますと、「21世紀に大変革は起こるか?-3」で記述した、そのコンセプトが16世紀に書かれたところの「ユートピア」への回帰であろうと思えます。もっと古くは、よくSF話などでネタにされるプラトンの理想国家、アトランティスみたいなものかもしれません。

ただしユートピアの共通した特徴として、「一般市民の下に奴隷や囚人を想定し、困難で危険な仕事をさせている場合がある」とありますが、未来のテクノロジーの進歩を考慮すれば、これは人間の奴隷などではなく、アシモフのSFや映画の「アイ・ロボット」に登場するような、より完成されたロボットがその任に当たると考えられます。

また、「変更すべきところがもはやない理想社会が完成したので、歴史は止まってしまっている(ユートピアは、ユークロニア(時間のない国)でもある」という点にも同意できません。なぜなら科学技術の発展に終わりがあるとは思えないからで、あってはならないという希望的な理由からです。

以前、面倒くさくてわかりにくいイデオロギーについて考察しました。現在の世界を率直かつうがって見れば、なんとか主義の政治体制なんていうシステムは、よく考えられたとはいえ、残念ながら単なる理想または分類、体系化であったと思えます。すでにほのめかしたように、例えばマルクス、エンゲルスの考えたことは、ロシアや中国に社会、共産主義革命を起こしましたが、旧体制において不利益を被っていた大多数が一致団結して圧制者を倒すための名目ないしスローガンに過ぎなかったとも言えます。

革命が成就したのち、血なまぐさい権力闘争を経て指導者となった連中は、旧支配者と同じことか、あるいはそれ以上にひどいことを被支配階級にやったはずです。要は、実践してみるとむしろ欠点のほうがボロボロ出てきました。よりマシだろうと思われた自由民主主義や資本主義にしても、グローバルな過当競争や物質至上、貧富格差などの矛盾が大きくなるばかりで、世界の安定や平和という理想からほど遠いことは明らかです。

ブラジルを去る前に、パーパ(ローマ法王)はカリブ・ラテンアメリカ司教会議の冒頭に演説しました。それはカトリックの政治的な立場の強化を意識したのでしょう。イデオロギーをすでに過去のこととして、ラテンアメリカにはびこる権威主義(チャーベス大統領のことか?)をいましめ、我田引水ながら、このタイトルで論じているような理由によって、共産主義と資本主義が標榜した社会正義や安定に関し、「イデオロギーの偽りの約束」と批判していました。私はバチ当たりな仏教徒であって、カトリックに距離を置く者でありますが、この件については、お説ごもっともと感じています。

所詮現実の政治では、その理念などは指導者の情念による解釈しだいでどうにでもなるでしょう。逆に環境が変わったにもかかわらず理念を原理主義で墨守するなどは、柔軟な解釈よりさらにバカげているでしょう。人間にとって重要なのは、良くも悪くも幸福感、満足感の達成であって、それは政治体制にかかわりなく、為政者のやり方しだいでどうにでもなってしまうのでないか?と思えることです。

つまりローマが勃興したころから政治は本当に進歩したのでしょうか?未来では、おそらく民主的な方法で指導者が決められると思われますが、以上のことによって、どのような政治体制であらねばならないか?ということは、私にとってたいして重要なことではありません。

ここで人類が世界の安定と平和を心から求めるようなったとしましょう。「ビッグ・ブラザー」?の一角を占めるかもしれない、陰謀ヤさんの大好きな、世界金融と紛争、戦争を闇の世界でコントロールすると言われる、なんとか家やナニナニ結社などという利益、利権集団などはどうなるのでしょうか?

面倒なので詳しい検討をしませんが、もし世界の安定が確固たるもになれば、例えば武器商人などがビジネスを広げるため世界に干渉するのは難しくなるでしょう。社会の安定化によって心の不安感が払拭され、精神に充足感、安定感が得られれば、ドグマの強い宗教もおのずから存在意義が薄くなり、アイデンティティーを保つための単なる習慣となってしまうかもしれません。

問題は、「21世紀に大変革は起こるか?-7」で触れたアンチ・ユートピアの管理社会でしょう。つまり人々は安定と平和を天秤ハカリの一方に乗せ、もう一方に自由やプライバシーの制限を乗せるわけです。しかし簡単に言ってしまえば、反ユートピア小説の描いた世界は、当時の恐怖を起こさせた全体主義的国家の反映だったことです。もし構成者全員が情念をコントロールした自覚を持った社会とすれば、たとえ「ビッグ・ブラザー」が管理するとしても、イギリスやブラジルの例のように、そのころはあなたも監視カメラに慣れていることでしょう。

気さくなあなたはカメラに向かって親指を突き立てたり、ピースサインをするようになるかもしれません。「よお、カメラさん。きのうは声かけてくれてありがとさん。なんせ酔っ払ってると、すぐその辺で寝ちゃうんだよな」なんて、カメラを見てあなたは話しかけるかもしれません。自由やプライバシーの侵害を過度に恐れるのは、情念の過剰ということになるでしょう。

先に挙げた、陰謀ヤさん達のネット内にある文章には、例えばなんとか家の陰謀話などについて実に詳しく、とてもよく書かれていて大変面白いのですが、こじつけっぽいところが多いようです。なにも本を買う必要はありません。あなたのようなスキ者でヒマ人なら、色々検索してみると面白いでしょう。ついては、次の記事もそんなことを考えながら興味深く読みました。私はフリーメイソンとなんの関係もないということを断りつつ、これをどう解釈するかは皆さんに任せることにします。
ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち

このタイトルについては、今回で一応の完結としました。また新たなアイデアが湧けば戻ることにしましょう。

続く

2007-05-12

21世紀に大変革は起こるか?-24

今ブラジルは、バチカンからパーパ(法王)のベント(ベネディクト)16世を、ジョアン・パウロ2世の訪伯以来17年ぶりに迎え、カトリック信者達が国をあげて湧きかえっています。ブラジルは世界最大のカトリック教国ではあるけれど次第に信者を失いつつあり、バチカンにはその危機感があります。

それに妊娠中絶(ブラジルでは、モグリの中絶が年間100万件あるといわれている)、尊厳死やバース・コントロールなど、ブラジル政府がバチカンと意見を異にしていることもあるため、政治的には大歓迎とはいかないでしょう。ルーラ大統領との会談では、法王が宗教教育の復活を求めたようですが、ルーラ氏は問題をそらしたようです。

法王の訪問目的のひとつは、ブラジル初の聖人となるフレイ(修道士)・ガウヴァンの認証式典です。詳しくは知りませんが、バチカンの聖人に列せられるためには、対象となる神父や修道女が「奇跡」をおこなったことが証明されなければなりません。詳細で時間を必要とする面倒な申請運動を、私はこちらのニュースで何回か見る機会がありました。「奇跡」をバチカンに認知させ、聖人として正式に選ばれるのはそれほど簡単でないんでしょう。その確たる証拠をバチカンに提示したあとは、バチカンの長期にわたる根気のいる調査が行なわれるようです。

この「奇跡」とは、「聖人候補者」あるいは信者の信仰と祈りの力によって、ほとんどは医者が見離した不治の病(難病、奇病、末期ガンの類)に侵された信者が治った、といったことだと思われます。昔も現在も治癒した原因を医者が納得できるように検証できなければ、それは「奇跡」的になってしまうのでしょう。しかしながら現代の我々なら、それが信者の圧倒的な信仰によって、彼(彼女)の免疫力が異例的に強化されたことによる自然(自己)治癒であったと考えることができます。

それは「21世紀に大変革は起こるか?-16」で挙げた、免疫学の安保徹氏の説から説明できると思えます。皆さん、太平洋戦争末期の、ない武器を精神でおぎなおうとしたオロカな竹ヤリ戦法は通用しませんが、それでも人間の精神は、ときとしてスゴイことをやっつけてしまうことがあるんですね。

乗り物の大革新:
このタイトルのヨタ話もいよいよ終わりに近ずきました。かねてから私は、現代の素晴らしく進歩した科学技術の恩恵を受けながらも、はたしてそれらが究極に進歩しているといえるかどうか疑問を持っています。私がこのヨタ話を地球の反対側にあるこちら側でなんとかデッチあげられるのは、インターネットの普及という大変革の恩恵です。

昔なら、いくら適当に書いてしまうとはいえ、日本のあっちこっちの図書館や本屋を渡り歩いて、私の知らないことを調べる必要があったはずです。そんなIT分野に限らず、20世紀の物質文明は、実に多くの有益な道具や手段を生み出したことは否定できません。しかしながらよく言われることですが、進歩した現代のテクノロジーといっても、かつての歴史がそうであったように、数世紀後から見れば原始的だったとさえ言われるかもしれません。

例えば交通手段としての乗り物を考えた場合、地上を走る全ての物は車輪を使っていると言ってよいでしょう。飛行機でさえ着陸するには車輪が必要です。車輪の起源は5000年ほど前と言われる「コロ」でしょうか?とにかく馬が内燃エンジンという動力機械に替わり、それが電気モーターに替わりつつあり、またエネルギー源のガソリンがバイオエタノール、天然ガス、水素や電力に替わったとしても、乗り物の基本的なコンセプトは、いにしえの乗り物とたいして変わらないでしょう。

そんなことで人類は、動力や車輪(タイヤ)に限ったことでなく、環境破壊のもととなる石化燃料依存を脱し、エタノールや水素のような代替燃料さえ使用しない方法を、この分野でも模索しなければなりません。

前の回に私は、UFOのことについてヨタ書きしました。しかし冗談でなく真剣に検討する必要があるとも思っています。5年以上前でしたか、「ホット・ワイヤード・ニュース」に掲載された「反重力りフター」の記事を読み、たいへん興味を持ちました。参考に以下のサイトを挙げておきましょう。

ハイブリッドも水素燃料もとりあえずはよいのですが、どうせやるなら思い切って反重力学会を立ち上げ、さっそく研究開発を始めるべきでしょう。もちろん現存のUFOテクノロジーに関し、ナニナニ星人との技術移転交渉が可能なら、それに越したことありません。
米国防総省のDARPAと反重力装置のリフターの事例から UFOから生まれた(?)浮遊技術

American Antigravity

次は7年前の記事で、実際に現在も継続しているのか不明ですが、文章中にある最後の記述です。「現実離れしたプロジェクトであっても、わずかでも成功の可能性があるなら、それに投資することはできるだろう。このことは『パスカルの賭け』と呼ばれる。しかし、今回のケースでは、ほとんどの科学者は成功の可能性はゼロであると言うだろう」。 だが、そんな意見があるにもかかわらず、SFにおいてはよくあり、無数のウェブサイトを感化することになったこの反重力推進の研究は進められる。
BAEシステムズ社、反重力研究を開始

すでにアメリカは、なんとか星人からUFOテクノロジ-のライセンスを手に入れて久しく、エリア51でアメリカ国産機のテストをしている?という噂です。私は22世紀までなるべく生き残るつもりでいますが、ひょっとしたら、そのころには人類が住めなくなってしまった地球を、自然回復するまでとりあえず放棄してどこかの惑星へ移住するため、人類は旅立ちをせまられるかもしれません。そう、人類はこのときのために、今から準備しておくべきなのです。
AREA51 : IS TRUTH OUT THERE ?

2007-05-10

21世紀に大変革は起こるか?-23

食事と医療の大改革:
未来はグルメのあなたにとって絶望的な環境かもしれません。もしジョン・タイターが言い残したような核戦争が起こって、現在のような世界が壊滅してしまったり、温暖化による水没や大旱魃、あるいは気象の大変動による大災害などがそこいら辺で起こるとしたら、未来の食糧事情も当然悪化すると思われます。

現在でも無思慮な都市化開発や農地化によって水不足が、すなわち将来の飢きんへの関連などが警告されています。期待されるはずのエタノール燃料と裏腹にある、食糧供給量の圧迫という政治的な問題も複雑です。「Technobahn」サイトに何回か掲載されたように、先年よりミツバチの集団失跡、CCD(群崩壊症候群)が起こっているというニュースがありした。

原因にはダニ、ビールス、携帯電話の電磁波など、様々な仮説があるようです。受粉をハチに依存する果実など、農作物の生産にとって脅威なんでしょう。これなども未来の食糧難を認識させるというより、悪く言えばあなたを脅す材料として最適かもしれません。

とにかくグルメにとって食のバリエーションは減少するでしょうね。なんでも食材にしてしまう中華料理なんてもっとも影響を受けるでしょう。いや、むしろ逆にその能力を発揮するのかな?日本も鯨食があって動物愛護グループから非難されたけれど、韓国の犬食などは、飢きん時代のことが当国の国民性から食文化として残ってしまったのではないか?そんなカングリはさておいて、しかしながら人類全体にとって再び食糧難という、人類史上ではむしろ正常な状態に戻るとするなら、寿命や健康の面であながち悪いとは言えないでしょう。病気にさえかからなければ。

ある記事によると、団塊世代が大量に退職を始める最近、帰農する運動が起きているようですね。こちらの混沌にいるとつくづく思うんですが、情念をどう抑制するかという問題が残るとしても、ファベーラで混沌を形成している人々になんとか帰農してもらい、人口のバランスが雇用問題を解決するまで、省力化した自給自足経済を構築できないかということです。

しつこいようですが、人類がひたすら物質的に豊かになる経済成長によって幸福感を得ようとしたした結果、資源と空間が無限でない地球上を、そのエゴによって自ら生存しにくくし、そして生存しえない環境に変えてしまう、といったことが起こっているのでしょう。この先、我々は20世紀に暴走してしまったこの価値観を破棄し、政治と生活の全ての省力化やリサイクルについて検討しなければなりません。

偶然なのか、あるいは必然なのか、「Sungazing」ないし「太陽直視」は、私に理想的な解決方法を教えてくれたのかもしれません。今のところマネク氏の主張どうりの恩恵を私にもたらしている、という確信がありません。それでもすでに記述したような手ごたえも感じているため、納得するまでこのまま続けていくつもりです。私はかなり以前から手術はもとより、薬でも強い副作用をともなうものに疑問を持っています。したがってできる限りこれらを避けてきたつもりです。実際、歯科での治療ぐらいでしか体に刃物を突きたてられたことがありません。重要なのは、人間の持つ免疫力の可能性をとことん追求するのが医療の正しい道であると思っています。

私に方法を教えてくれたマネク氏のサイトの記事は、2003年にアップされたようですが、少なくても私が1名加わったことがはっきりしているだけで、記述中の「ブラジル、ドイツ、オーストラリアなどで3000人以上の実践者」が、現在世界中で何人になっているのかわかりません。それに既実践者や私のように、直視しても目に問題が起こらないと、ほかの誰についても保証しえるか?という点もわかりません。

けれども「21世紀に大変革は起こるか?-18」で記述した効能の他にも、マネク氏のサイトに有効となる具体的な病気として、パーキンソン、アルッツハイマー、肥満、骨粗忽症、関節炎、ガンなどが挙げられていました。「奇跡のサプリメント」などのプロパガンダなどでなく、もし本当に効果があるならやはり凄いことです。いずれにしても、今までの経緯から可能性を感じている私は、これがヨタ話で終わらなかった場合のことを考察してみました。

現在の私は、断食状態には達していないもの、以下のサイトを参照してカロリー消費の概算をしてみたところ、必要摂取カロリーの70%程度かそれ以下で生活しているはずです。それでいて体調は、5年前に比較して非常に良好で、適当な筋肉強化運動をしていることもあり、運動能力が強化されたと感じています。もし私や誰かが望むなら、完全な「ブレサリアン」にならなくても必要摂取カロリーの20%程度で普通に生活することが可能かもしれません。

実際にそういった記事があるようです。繰り返して言うと、私が理解している肥満やストレスは、多くの人々にとって重大な疾病の間接ないし直接要因となっています。「太陽直視」の実践によって体重を無理なく減らせることと、そのひとつの効果としての精神安定は、ストレスからの開放にも寄与できると思われます。そしてもっとも大きな利益は、免疫力の強化と「細胞レベルでの若返り」によって長寿命が達成される可能性があることでしょう。
摂取カロリー・消費カロリー大辞典

ES細胞や遺伝子テクノロジーによって臓器の再生が現実のことになりそうです。中国の混沌のひとつ、生体から取り出した臓器売買事件が注目されていますが、ブラジルでも以前、貧窮したことによる生体肝の売買事件があり、場合によっては世界中のどこにでも起きそうな事件です。やはり人体を切ったり貼ったりする治療は、未来の洗練された手段とは思われず、最小限に抑えられるべきだと思えます。

物質の恩恵に毒されてしまった人間が失ったと想像できる、60兆といわれる細胞の複雑な集合体として、そのなかに潜在しているかもしれない本来の能力を引き出すような大変革が起こるかもしれません。たしかヨタ話で、足だかを自分の意思でなかば再生?したなどという記事を読んだことがあります。テレパシーなどもこのなかに含まれることでしょう。超低カロリーまたは断食で生きることが可能なら、そんな能力も引き出せるかもしれません。細胞の話といえば、マニアにとってはすこし古いかもしれませんが、次の記事などはどうでしょう。
心臓移植で転移する人格 - 記憶は細胞に宿るか

2007-05-08

21世紀に大変革は起こるか?-22

この拙文を書いているうちに、地球の環境破壊について自分が誤ったイメージを持っていることに気がつきました。人類によって徹底的に環境破壊、汚染されてしまった地上は、長期に渡って取り返しつかないほどのダメージを受けてしまう、というものです。以前私は400の温度上昇など、地球からすれば屁でもないと書きました。

例えば未来に大戦争が起こって、人類が持てるだけの核兵器を地球上にばら撒いて破壊つくしたとしても、地球上の全ての自然を破壊、汚染し、作り出したゴミで宇宙空間(スペース・デブリ)まで埋め尽くしたとしても、人類は滅びるかもしれませんが、地球が滅びるわけではありません。そんなことがあったとしても地球は何事もなかったように、さらに何十億年と宇宙空間に存在し続けるでしょう。

そして人類がほんのちょっとした瞬間にパーティーをやって汚した表面を、地球は肩のホコリを吹き払うように、瞬間でキレイさっぱりと掃除してしまうものと思えます。億年単位で見たら、現人類のなんの痕跡もたぶん残さないんでしょうね。

そう考えると人類は、今という、たかだか何万年かの最適な環境で、単に幸運な瞬間を地上で謳歌しているだけかもしれません。「デイ・アフター・トゥモロー」、「ディープ・インパクト」、「アルマゲドン」など、SFクライシス映画が描くようなことは馬鹿げていると、例え斯界の大権威が保証したとしても、私を完璧に(起こらないと)信じさせることなどできるでしょうか?すでに記述した地球温暖化について、金星、地球、火星の関係をおぼろげながら知ったとき、惑星の時間単位でなにか驚くべき出来事があったのでは、と妄想しました。

人類は紛争や戦争などにうつつを抜かしているヒマなどないかもしれません。人類はナベカマなどいっさいがっさいを積み込んだ宇宙船を建造し、とりあえず火星かどこかへ逃げ出す準備をしておくべきかもしれません。速いとこ現在のロケットのような、ワットの蒸気機関モドキが高速道路を走る感じのテクノロジーから脱し、なんとか星人のUFOのような進歩した、洗練されたテクノロジーを開発してそのときに備えるべきでしょう。

まあ、ナニナニ星人と技術移転について直接交渉する手もありますが、相手がこのビジネスに乗ってくれるかどうかですね。バーター取引になると思いますが、はて、なにがあるだろ?あり余る労働力?調子に乗ってちと脱線しすぎたかな?

少しばかり現実にもどって、では「自己規制」、つまり人間の情念をコントロールする方法とはどういうことでしょうか?間接的には徹底的な教育で、別の見方をすれば(悪く言えば)洗脳です。これには現在の世界中の混沌で起こっているような、生まれてからバラックやゴミにまみれた道端に事実上放置された子供の姿などありえません。このためには徹底的なバース・コントロールもおこなわれなければならないでしょう。

子供達は学校で情念をコントロールするすべを、共存していくための自覚を植えつけられるでしょう。それでも情念をコントロールできない子供もいると考えられますので、より直接的な手段がもちいられるかもしれません。これには脳医学の発達が寄与すると思われます。とは言っても、別に前世紀のロボトミーのようなオドロオドロしいことではありません。

10年以上前でしたか。「宇宙人ユミット」について書かれた本を読んだことがあります。ヨタ話の本として読んでも、なかなかすばらしいインスピレーションを得られる内容で、興味深く読んだと記憶しています。この中の脳の科学に関する記述は、ほとんど理解できなかったけれど想像する助けになりました。そのように脳で起こる現象がもし詳細に解明できたなら、前述のような場合、MRI(核磁気共鳴画像法)装置のような見てくれのシステムを使って非接触に、異常と判断される情念を不活性にすることもできると想像します。例えばどうにも始末しようのない、殺人前科ん十犯?の凶悪犯(ブラジルでは、廃止されたので死刑にできない)が刑務所から脱走して再犯に及ぶといったことも防げるでしょう。

ついでに「ユミット」について検索したところ、次のサイトがありました。信じる信じないは別として、改めてなかなか興味深い記述です。なおこのサイトのユミットによる指摘では、「現在、極秘のうちに地球で開発が進んでいるというプラズマ兵器は、完成すれば一発で地球全体をガラス状に焼き揚げる程の破壊力がある」そうなので、この文章の最初のパラグラフに書いたことは、ちょっとばっかし影響を受けるかもしれません。
魂のネットワーク

週末のサン・パウロ市のど真ん中、プラサ・ダ・セ(セ広場)でビラーダ・クルトゥラウ(文化の回帰)と呼ばれるイベントの一環として、人気ラップ・グループのショーが催され、またまた広場の周辺をメチャメチャにする暴動に終わりました。いつものことです。

ついでに余計なことを書くと、フランス大統領選挙は、保守系のサルコジ氏の勝利に終わりました。この結果は妥当なところで、私は日本にとっても悪いことではないと思いました。ついてはタイトル、「フランスの反日政治家と中国好きのサルコジ」 by 先っちょマン氏に「ウサギ小屋」についての記述がありました。私も当時の舌禍騒ぎを思い出しましたが、韓国などの特殊な国柄を除けば、このたぐいのことには誤解があることが多い、と日ごろ感じています。興味があって検索してみたところ、次のブログに以下の文章がありました。
愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 「『ウサギ小屋』は誤訳だった

「おかしいな、とよく読むと、原本はフランス語で、英語に翻訳されたと注釈があります。ウサギ小屋については原文では「cage a lapins(カージュ・ア・ラパン)」。辞書で「lapin」を調べると「cage a lapins」で一つの成句になっていて、「画一的な狭いアパルトマンの多くから成る建物」と定義してある。つまり、都市型の集合住宅のことを表す俗称で、別にほめる意味はないが、侮辱する意味で使ったものでもないようだ、ということに気付きました。フランス人の住むパリの集合住宅もこう呼ばれます。何も特に日本を揶揄するために新たに作った表現という訳ではないのです」

私には、やはり誤解であった可能性が大きいと思えます。

2007-05-06

21世紀に大変革は起こるか?-21

混乱後の大変革:
さて、前回まで「変革の前兆」についてヨタりながら長々と、なんとかゴマカシつつ考察しました。結論すれば、どこかの誰かの予言、予知などと同様、21世紀では、大方の人類にとって暗い未来が待っているかもしれません。ここであなたは何かを期待するかもしれませんが、残念ながら私は、どこかで地震が起こってあっちこっちをツナーミ(津波)が襲うとか、何年何月になんとかのパンデミックが起こりそうだというような預言者の真似事などしません。

すでに戦争のことはシナリオを書きました。自然災害については、預言者達に任せることにします。ただそうは言っても、ここまで混沌が地球全域に広まってしまった現在、6500万年とか何万年前だか、かつて恐竜やマンモス、あるいはその他の、地上で我が世の春を謳歌していた種が絶滅したように、人類もこのたぐいの試練のフルイをかけられるのかもしれません。

このタイトル、「21世紀に大変革は起こるか?」の都合上、実際に自然(災害)ないし人為的(戦争)な試練が起こると仮定して、人類全体が考古学者によって発掘されているような骨や廃墟になってしまうのか?ここではそうならないとします。例えば温暖化によって地球が400のチンチン状態にならないという仮定の仮定ではありますが。

例えこのヨタ話や大預言者による大混乱が現実のものとなったとしても、それでも少なくない人類と、ひょっとしたら、その後継者(新人類?)が生き残って次の繁栄の時代を築くものと思えます。なにしろ最初の生物が地球に出現して以来、生物の種が尽きたことがあったと証明するものがないと思えるからです。まあ、他の惑星から来たという説もあるかもしれません。

あるいは、起きたとしても混乱はそれほど大げさなものでないかもしれません。しかしながら一旦始まれば、戦争や環境破壊など、限界がくるまで徹底的にやるのが人間なのかもしれません。人口にしても、それなりのバランス点に達するまで減少してしまう必然性があるかもしれません。

地球上の他の種との共存を他でもない人間が脅かしています。それを防いでバランスをとるためには、結局のところ人間の情念に規制をかけるしかありません。混沌に住む私にとって、混沌の原因のほとんどを占めるのは、人間の本性である情念にあると思っています。最後の手段として勃発する戦争、紛争は言うまでもなく、人間の小社会の情念にかかわるいざこざは、そのまま国際社会の関係にも当てはまるはずです。

資源の有無、環境汚染と破壊、貧富の格差、ナショナリズムや国益、宗教など、原因となるタネは尽きません。そして政治的に利用されやすく外交辞令に終わりやすい人権、博愛、友好といった理想は、本来の理念から遠のいていくばかりと思えます。

普通人々は、他の者と共存していくために愛の重要性を語ります。夫婦愛、親子愛、隣人愛、人類愛、そして博愛というように。愛は人間にとってもっとも偉大な感覚で、つねに人を突き動かし感動させるものでしょう。しかしそれゆえ愛は情念によって利用されやすいと思えます。こちらに住むと感じられるのですが、混沌に落ちているにもかかわらず、いな、絶えることのない混沌に苦悩するゆえか、あまりにもアモール(愛)のレトリックがそこいら辺に溢れているため、この言葉自体が日常生活のなかに埋没し、本来の輝きを失っているような気がします。ただしこちらからすれば、アモールをなんにでもくっつけるのは、私の意識と異なる文化によるわけですから、なにをバカなことぬかすの?とでもたぶん言われるでしょう。

それゆえ愛を語り、あるいは語られても、かんぐれば虚偽かもしれず、自己都合によって反故にされる可能性があり、実際のことになると、たいして長続きしないようにも感じます。そしてもし皆さんがこの考えに同意してくれるなら(同意してくれなくても話を勝手に進めますが)、情念を規制できるキーワードとして、私は愛よりも自覚を重視します。

私はこの自覚について考えているうち、仏教の因果応報を思い出しました。「因果(いんが、梵 hetu-phala)は、もとは仏教用語であったが、転じて原因と結果のことを指すようになった。ある事象を惹起させる直接的なもとと、それによってもたらされた事象。一般には、事象Aが事象Bをひき起こすとき、ABの原因といい、BAの結果という。このとき、ABの間には因果関係があるという」。ウィキペディアは難しいことを言う。

次に適当な引用といえるかどか、もうひとつ、私が昔読んだヘミングウェイの、「誰がために鐘は鳴る」の冒頭にあった、17世紀のイギリスの詩人、ジョン・ダンの説教集の一節を挙げましょう。

「なんぴとも一島嶼(とうしょ)にてはあらず なんぴともみずからにして全きはなし ひとはみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ) 本土のひとひら そのひとひらの土塊(つちくれ)を 波のきたりて洗いゆけば 洗われしだけ欧州の土の失せるは さながらに岬の失せるなり 汝(な)が友どちや汝(なれ)みずからの荘園(その)の失せるなり なんぴとのみまかりゆくもこれに似て みずからを殺(そ)ぐにひとし そはわれもまた人類の一部なれば ゆえに問うなかれ 誰(た)がために鐘は鳴るやと そは汝(な)がために鳴るなれば」(大久保泰雄氏訳の全集より)。

つまり、人間誰しも一人で存在するのでない。人は大陸の一部なので、独立した島々ではないのだ。波浪という災難は、友人だけでなくオマエをも襲う。誰かの死はオマエの死に等しいのだ。みんな人類の一部なのだから、あの弔鐘は誰のためになっているのか?と聞くのでない。それは他ならぬオマエのために鳴っているのだ。たぶんこういった意味だろうと理解しました。

要するに私の言いたいことは、自分が(利己的に)やったこと、あるいはやらなかったことは、いずれなんらかの形で自分に(災いとなって)帰ってくることで、あとで気がついても取り返しがつかないことである、ということです。人類がもし地上の物(者)と共存し、調和して安定と平和を保とうとするなら、現在の拝金、浪費社会にある自己中的、せつな的な自由を、自己の自覚によって「自己規制」する必要がでてきたように思われます。

現在に至るまで、人々が幸福感、満足感を得るための手段として、ひたすら経済成長にまい進してきた結果、様々な対策が模索されているとはいえ、膨大なゴミや環境破壊などを生んでしまいました。このことは資本主義国に限らず、イデオロギーの違いなど関係ないことが今はっきりしてきました。そしてこれを変えるために我々ができることは、過度なエゴイズム、マテリアリズム(物質主義)を終焉でさせることでしょうか。このことは同時に、国や個人にかかわらず清算不可能となった債務という、やっかいな不安定要因をも解消する道だと思われます。

では自覚による「自己規制」によって起こりえることはなんでしょうか?現在の物質的な満足感を追求することなどでなく、より精神的なそれに重点を置く文明社会への転換でしょうか。私には、このことが今世紀以降の、人類の命題になると思えます。

2007-05-03

21世紀に大変革は起こるか?-20

直視を始めてから34ヶ月ほどしてからでした。前に触れたように、食欲があまりなくなる時期がありました。普通に食べようとすると胃炎を起こして不調になってしまったのです。結局この時点で食事の量を減らさざるをえなくなりました。そのあとさらに、20才、30才代の連中に伍してムリな運動をしたせいか体力を消耗しきってしまい、強いカゼを引いて1ヶ月くたばっていました。

やがて体力が回復して体調が安定したのはここ5ヶ月ほどです。最近3年間のカゼっぴき回数が年3回になっていることから、もしこのままカゼを引くことがなければ免疫力が上がったと言えるでしょう。また、我がカゼ引きの感受性について気がついたことを挙げれば、過去寝不足におちいったとき、必ずといっていいほど私はカゼを引いていました。ここ2ヶ月ほど太陽直視の影響で極端に睡眠時間が減って頭痛などの影響が出ているため、日23回、1015分程度の仮眠をして慣れるまで凌いでいる状態ですが、不思議とカゼにかかりません。

もうひとつ挙げれば、周期的に繰り返す私の持病が相変わらずなため、今のところ免疫が強くなったとは言えません。ただし症状が軽くなっていることと、過去より速やかに回復していますので、免疫が強化されつつあると言えるかもしれません。いずれにしても、今現在では評価しようがないと感じています。最近体のチェックアップをしたことがありませんが、胃腸の弱さを大豆食で克服してしまったので、私にその他の成人病はないだろうと考えています。

最後にカンが良くなったかもしれない、ということについてコメントしておきます。そもそも私がこのブログを書こうと思った動機は、「太陽直視」開始以来、最近始まってしまった、短い睡眠時間(45時間程度であったが、現在は増える方に変動しつつある)のあと起こるまどろみのなかで様々なアイデアが浮かんでいました。

そしてある種の興味から、これらを書いて公表してみようと思ったからです。このブログでいろいろ書いている我がヨタ話。アマのウオッチャーとしてノウガキをたれる楽しみはありますが、情念を撒き散らす傾向が「太陽直視」で減退してしまったため、ネタがつきたらさっさと止めるつもりです。ついては、もし我がヨタ話の妄想がまぐれ当たりしたら、「太陽直視」の結果かもしれません。

それからあなたのようなヒマ人の方は、ついでに次のサイトで長寿のための基礎知識を仕入れたらどないなもんでしょう。ただ記事自体が2年前の日付になっていて、ちと古いかもしれません。それでも他の関連サイトへのリンク元として使えると思います。それに「テロメア」と「ミトコンドリア」のことをウィキペディアで調べると興味深いと思います。なに?今んとこゴールデンウイークの遊びで忙しいって?
不老不死への科学

以上、書き手自らの例まで引っ張り出して、というか話のメインにしてしまい、長寿の可能性について適当に論じました。21世紀に入って急速に進歩しつつあるバイオテクノロジーや遺伝子テクノロジーです。昨日までの医学常識が続々と、すぐにでもひっくりされそうな気もします。けれども相変わらずエイズの完全な治療法については未解決であり、なんとかインフルエンザや、特効薬に耐性となってしまった馴染みの病原菌など、肥満やストレスの問題まであります。エイズや狂牛病(牛海綿状脳症)のようなニューフェイスが現れるかもしれません。

今世紀も人類の病気に関する困難は続きそうですね。そう考えると、終局的な解決には、カルトマニアのあなたが飛びつく以下のようなことが起こるべきなのでしょうか?この話の信憑性についてはなんともコメントできませんが。こちら風に言うと、(現在の)イマジネーションの向こう側というところでしょう。
ロシア科学者:地球に超能力の新人種が出現

厚生労働省:牛海綿状脳症(BSE)等に関するQA

本題から外れます。チャーベスが社会主義をより推し進めるためか、企業の国有化を強化し、IMFと世銀から脱退するという発表で、この先、南米に一騒ぎが起こるかもしれません。あるアナリストは、チャーベスは社会主義者のように振舞っても、実態は資本主義者そのものだと看破?しています。なぜなら彼が政権を握って以来、貧困層がむしろ増えているということです。問題は、チャーベスの大冒険が石油の上がりのみに頼っていることでないか?ということで、世界の変化が加速するなか、そうは簡単に問屋が卸してくれるでしょうか。

もうひとつ。株式市場の持ち直しによって安心感が広がり、円が再び120円台へ落ちています。中国市場は規模が小さく、暴落したとしても影響は少ないといった記事を見かけます。そうでしょうか?こちらサン・パウロ市場の高騰も凄く、注目すべきは、ボロ株が1日で100200%(ストップ高がない)上昇するなど、ロォウクーラ(キチガイ)のようになっています。かつての暴落前夜のことを私は思い出しました。またこちらの記事から、FRB(連邦準備理事会)のアナリストが、LTCMの破綻を思い出させるほどヘッジファンドのリスクが上がっていると警告したようです。

2007-05-01

21世紀に大変革は起こるか?-19

実際に「」太陽直視」の効果があったかどうか検討する前に、たぶん皆さんは、肉眼で直視すると、どのように太陽が見えるのか、ということに興味があると思いますので、この点について触れておきましょう。前回書きましたように、初めて直視ができたとき、太陽は薄い褐色がかったように見えたのですが、そのあと慣れるにしたがってパステルカラーのブルーがかって見えるようになりました。すなわち薄い褐色に見えたのは最初のころだけでした。

とはいっても常にはっきりしたブルーに見えるわけでなく、直視を開始する太陽が高い位置にあるときそう見えやすくなります。そして時間が経つにつれて太陽のナチュラルな黄色がかった白色となり、日没に近くなると条件によっては赤みが次第に増して夕日色、つまり赤くなって没します。直視開始直後は、皆さんが普通に感じるように、強い太陽光線によって太陽の形がはっきりしませんが、少し経つと目を眩ます光線が消えて、よりはっきりした太陽の丸い輪郭を見ることができます。ただネット内を調べた結果では、見え方に個人差があるようです。

おそらく私は、マネク氏の主張する最初の9ヶ月のプロセスを経験し終えたのではないかと思っています。結論から言ってしまえば、残念ながら、今のところ確実に「Sungazing」または「太陽直視」の素晴らしい恩恵を受けたと確信することができません。しかしながら、いくつかの見逃せない変化が出てきたことも認識しています。

まず現在はっきり言えることは、睡眠時間の減少とカンが優れて良くなったかもしれないこと、普遍的な愛に目覚めたと思えないにしても、心の平和、平静というか、情念をコントロールする能力が格段に上がってきたこと、寒さに抵抗力がでてきたこと、などを感じています。これらについて、私は独自に考察したあと、太陽光を大量に受け入れることによって、脳の松果体を経て生成されるセロトニンとメラトニンに関係しているのではないかと結論しました。

ウィキペディアに、「メラト二ン (melatonin, N-acetyl-5-methoxytryptamine) は脳の松果腺から分泌されるホルモン。アミノ酸のトリプトファンからセロトニンを経て合成されるインドールアミン誘導体」、とありました。そして「X51.ORG」のマネク氏の記事に戻ると、次の記述があります。

『「マネク氏の脳を活性化させた状態でスキャンを行いましたが、脳神経は非常に活発で、通常50歳代の男性に見られるような松果体の収縮が見られませんでした。また通常、その年代の松果体の平均的な大きさは6mm x 6mm程ですが、マネク氏の場合は8mm x11mm程もあったんです。」氏を研究している科学者はそう語っている』。

「マネク氏によれば、日光から得られるエネルギーが氏から心身の疾病を遠ざけ、幸福と活力を与えているとし、この方法においては人は決して意識的な断食を行うのではなく、日光エネルギーによって空腹が遠ざけられるため、むしろ結果的に断食を行う形になる、と説明している」。

「この方法は人間が本来持っている力を目覚めさせ、脳を快活にさせます。実際、歴史上には多くの不食の人々がいます。また実際に英国の王立医学院は日光が人間に理想的なエネルギーを提供するということを発表したこともあります。また実際の断食に当たっては、ジャイナ教、そしてヒンドゥー教の古い聖典を参考にしています。今日、我々は日光の悪影響ばかりに注目し、それをあたかも敵であるかのように避けようとしています。しかし、実際のところ人間の様々な困難は日光エネルギーの不足によるものが多いんです。太陽からエネルギーを得るのは簡単です。太陽をしっかりと凝視して、そのエネルギーを脳に直接送り込むんです。目はいわばエネルギーを得る口となるわけです」。

メラトニンをさらに調べると、その効果として不眠症、アンチエージング、免疫系の増強、抗ガンなどがうたわれていますね。次はセロトニンとその神経について、私がとくに気に入っている記事です。
リズム運動はセロトニン神経を元気にする

この記事によると、セロトニンは心の平静を保つだけでなく、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」というタグに書かれているように、寒暖に対する体の感知力をコントロールするという効果があると思えます。そしてもっと興味深いことに、次の記述も見つけました。

「セロトニンの原料は必須アミノ酸であるトリプトファンです。それは、バナナ、大豆製品(納豆など)、チーズなどの乳製品に豊富に含まれています。さらに、摂ったトリプトファンが脳内へ取り込まれ易くするには、炭水化物中心の食生活がよいとされます。なお、サプリメントとしてセロトニン自身を摂取することは間違いです。必ず副作用がでます。間違ってもやらないで下さい」。
「メラトニン」でお手軽アンチエイジング

では、肝心カナメの免疫強化に関する効果はどないなもんでしょう。