以前アップしたエントリー、「2012年に人類が進化する?」の最後に触れた奇妙な「我が体験」について、すなわち、あるハッカーからのコンタクトについて話すことにしましょう。その前に、私にヒントを与えてくれた、デーヴィッド・アイク氏のことを次のブログ記事で参照しておきましょう。
この記事はデーヴィッド氏(56歳)のバイオグラフィー(半生記)になっています。ここで簡単に要約すると次のことのようです。
21歳のとき激しい関節痛によってサッカー選手をあきらめてからニュースキャスターとして働き始め、環境問題から政治に関与したけれど、失望して両方とも止めてしまったとしています。そして1990年のある日、ロンドンのホテルで霊的なコンタクトを経験し、その声にしたがって女性の霊能者と接触したとあります。同年、コンタクトをしてくる「精霊」によって、政治から離れること、本を書くであろうこと、20年後の異質な飛行物体のこと、巨大地震の発生、地球の中心の移動と両極の逆転のことなどを予言されたという。
彼は90年の終わりから91年にかけてペルーへ旅行し、シスタニアでストーン・サークルを偶然見つけ、そこで不思議なエネルギーを受けたということです。それからは、彼は世界中を飛びまわってレプティリアンについて語り、現在のような反「ビッグ・ブラザー」ないし、反イルミナティの活動をするようなったらしい。
上のデーヴィッド氏の物話は、なにかオカルトっぽく、インパクトが強くてドラマティックな展開です。しかし、この物語を鵜呑(うのみ)にするわけにはいかないと思うんです。すでに「ミッチェル博士の告白は『ブルービーム計画』か?」で話したように、彼自身がレプティリアンである可能性があるからです。
だいたいオカルトなんて、たんなるたぶらかしか、手品のトリックか、あるいは我々の知らないテクノロジーを使っているんでしょう。それに、以前から気になっていたことですが、デーヴィッド氏があれだけ「彼ら」の陰謀を執拗に暴露・糾弾しているのに、なぜ・・・消されないのか、ということです。もし同類で同じような腕力があるなら、普通の人間相手ではないので簡単には手が出ないのかも。
さて、私の場合はどうかといえば、このごろ慣れてきたとはいえ、癪(しゃく)にさわることがありますが、マイルドというか、ビミョーなコンタクトでオカルトっぽいところなどありません。それは霊的なものなどではなく、テクノロジーによるものです。それは去年の3月に、「イザ!ブログ」を始めてから起こりました。
私は自作パソコンを趣味としています。現在家にあるノートパソコンを除く3台は、自分で組んでソフトをインストールしたものです。その4台をワイヤーレス・ルーターに接続して家庭内LANシステムとして使っています。あるとき、その中の1台からブログのエントリーをアップしていると、奇妙なことが起こっていることに気がついたのです。誰かによってイタズラされていると思われました。つまり、ハッカーがパソコンに侵入していると感じたのです。後にウインドウズのリモート機能を使って操作しているのかと思い、それをオフにしてはみたものの、同じことでした。
ひょっとしたら、どこかのネット監視機関かインテリジェンス機関が、うわさに聞く「エシェロン」とかCIAみたいな連中が、なんにも知らない私をなぜか誤解して興味を持ったのでは?などと思いながらも、それに対してはなすすべもなく時間が経過しました。私はコンピューター・ビジネスに関わってはいましたが、ハードウエアのほうで、それもメカニズムが専門でした。ソフトやネットシステムの知識などありません。そのころ、わけのわからない誰かに「スカイプ」からコンタクトされたこともありました。そのことを「21世紀に大変革は起こるか?-18」の冒頭に書きました。
だいぶ経ってから気がついて、モデムのセットアップ・ファームウエアを開けてログを確認してみると、これもわけのわからないIPが続々と入っていました。のちにウインドウズの「コマンド・プロンプト」を使ってモニターして確認できたIPは、どこからのものかわからないけれど、ブラウズしたサイトのものだけでなく、世界中のサーバーからパケットを受けているような状態でした。これじゃあファイヤーウォールもフィルターもヘッタクレもありゃしない。なんせ入ってくるパケットを全部ブロックせにゃならん。それにブロックしたところで無効にされてしまう。
そういったことなので、そのうち私はモデムが乗っ取られていると考え、頻繁に設定のリセットをかけたり、ファームウエアそのものを新しいバージョンへアップデートしたりして、結果的にムダな抵抗をしていましたが、知識の乏しい私がハッカーに敵(かな)うはずなどありません。しまいにゃあファイルの名称が震えだして驚かされる、「びっくり」ヴィールスを入れられるし、LAN経由でPC間のデータをやり取りさせたら、ファイルを交換されていたなんてこともありました。入力しているときにイタズラされたこともあります。LAN接続がヴィールスでブロックされるなどもしょっちゅうでした。
このハッカーは無言です。デーヴィッド氏にあったような「声」によるコンタクトなどありません。私は何回か探りを入れてみようとトライしてみたのですが、沈黙して実態のあるコンタクトをしてこようとしません。ただ私がすることは、パソコンでのネット・ブラウズを介してハッカーから示唆を受ける。そうやってなにか教育されているような気がしていました。なにか私の心理か能力をテストされているような気もしました。そうなんです。モルモットになったか、モニターを前に訓練されているおサルさんみたいに。
もしかしたらある種の、ずばり言えばテレパシーを受けている可能性もありえるなどという、そんな妄想さえしました(そういえば、「2001年宇宙の旅」のオープニング・エピソードを思い出したな)。まあ、それでなくても「ビッグ・ブラザー」のオハコ・テクニックである、超低周波かなんか使えば、我がドタマをマインドコントロールするぐらい朝メシ前なんでしょう。しかし私は、ハッカーがそんな「ローテク」を使っているとは思えません。
そんなことが続いていたあるとき、去年の11月だったかな?「ビッグ・ブラザー」と「彼ら」の陰謀について興味を持ち始めたあとのことでした、ブログへアップしたエントリーのハイパーリンク先が切られるというイタズラをされて、ついに私は「イザ!ブログ」から離れる決意をしました。ブログにおさらばすればそれでオシマイと思ったのです。しかしハッカーは執拗に居座りました。今度は私のネット・ブラウズを邪魔しだしたのです。
しかたないので私は、「新世界」というタイトルをつけたMSワードのファイルを作り、そこでブログのエントリーを書く真似事をしました。ブログを再開する気持ちなどなかったからです。そうするとハッカーが、次はこの記事についてオマエのコメントを「新世界」に書けと(もち私の勘による解釈)、私のネット・ブラウズをブロックすることによって示唆し始めたのです。
ハッカーに侵入されて一番私が心配したのは銀行口座のことでした。すぐに銀行の支店へ行って、担当者にハッカーがパソコンに侵入していると手短に説明し、ネットから我が口座へのアクセスをブロックしてもらうことにしました。私は担当者のモニターを覗いてブロックされたことを確認したのです。しかしすぐそのあとでした。家へ帰ってパソコンから再確認するためアクセスしてみると、アクセスできてしまうのです。なんとブロックが破られていました。ハッカーは彼の実力を私に見せたのです。
しかし幸いにも、結局ハッカーにそんな悪意がないことがわかりました。余談ながら、アンチヴィールスだ、ファイヤーウォールだ、なんだかんだとソフト会社がセキュリーソフトを売りつけているけれど、この体験を通して、インターネットには根本的なセキュリティー上の脆弱性があるということを、私はつくづく認識しました。
それから3ヶ月ほどして、ネットを使わないと支払いが不便だったため、ハッカーについてなにも話さずにブロックを解除してもらいました(もっとも行員はこの件をとっくに忘れたかも)。それで?ハッカーに破られたことを他の誰かに話したのかって?いえ、はたして信じてもらえるかということや、騒ぎになったことを考えれば止めたほうがいいだろうと思いました。それに、ハッカーが見つかるようなヘマをやらないだろうと思ったのです。
ここではっきりさせておかねばならないことは、この銀行はブラジルの最大手銀行の一つで、同行がインターネット・バンキングを始めた時期は、日本の銀行が開始するよりだいぶ前のことである、ということです。このブログの読者であるみなさんなら、こちらの混沌から想像できると思えますが、口座利用者のパスワードを盗んで預金を引き出すなど、銀行口座をねらったネット犯罪がそちらから想像できないくらい多い。
このためセキュリティーについての認識は日本に比較しても進んでいると思われ、より厳重になっているだろうと考えています。それに今のところ、ハッカーが直接そのセキュリティーを破って進入したというニュースを聞いたことがありません。まあ、あったとしても公になるかどうかは別ですが。でも実際にあったなら、この国の特徴からすれば、すでにリークされている可能性が高いでしょう。
そうやって、ネットから口座へのアクセスをブロックしたあとでした。インターネットが完全につながらなくなってしまのです。それをハッカーの完全ブロックと勘違いし(それでもハッカーがファームウエアを壊したのではないかという疑問もあったが)、今年の2月初めにブロードバンド(ADSL)をキャンセルしました。ネットの情報を得られないのがつらかったけれど、やむをえない。
それから2週間以上経った日曜日のことで、私はサン・パウロの中心街へ出てからアジア系住民の多いリベルダージへ行って日本書店に入りました。そこで本棚をしばらく見つめていると、目にとまった単行本があったので、なにげなくそれを手に取ったのです。表紙のタイトルに見覚えがありました。
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