2007-03-30

21世紀に大変革は起こるか?-4

あなたが例えば、ブラジル東北部の奥地で荒れた地の畑を耕して自給生活する。痩せた牛から乳を搾り、米とフェジョン(豆)と、ごくたまにその辺を走り回る鶏の首をはねて食事にする。つつましい食事のあと、炎がゆれるランプを早いとこ消して、ハンモックで横になる。明日は日の出前に起きだして、20キロほどある近くの町まで、てくてく歩いて買出しに行かにゃあならん。

システムが出てきそうもない風景ですね。ところが同じ国でもサン・パウロに住むとなれば、溢れるシステムの中で暮らさにゃならん。「今日はバスと地下鉄乗ってセントロ(中心地)の役所へ行って、ショーバイの許可もらわにゃあな。2ヶ月前、店が3回も強盗にやられてね。それでもう少し安全な地区に移ったばかりで、こんどは監視カメラとアラーム入れたよ」。この話には、交通システム、行政システム、防犯システムが利用されます。

問題があったとしても、人が介在しないシステムなら話は簡単でしょう。防犯システムの機器のみに限れば、アラームやカメラ、システムをコントロールするパソコンが故障すれば、交換するか修理します。しかしながら誰かがシステムを監視しなけれはなりません。つまり人の介在を必要とします。こちらではこの盲点を突く事件がけっこう起こります。例えばガードマンが適切に訓練されていない場合です。

例として、侵入しようとする犯罪者は、修理作業者、電話工事、出前、セールスマン、親戚、警察などにカモフラージュしている場合がほとんどなので、中に入れるまでのチェック過程で様々な状況を考慮した対応ができなければなりません。それに最新のセキュリティーシステムを完備しているはずの高級マンションが、わりと容易に襲われている事件がニュースになっています。巧妙に考えられているシステムでも、買収されて内部手引きしたり、始めから強盗目的で就職潜入するなど、監視する側に裏切りがあれば機能しません(映画でおなじみのストーリーです)。

行政や司法システムは、近年IT化が進んでサービスの対応時間が短縮されたようです。それでもこちらでは、サービスの種類によりますが、司法、医療などは混沌といえる状況です。例えば私の知り合いのダンナが亡くなって、遺産相続となりました。日本でも相続は厄介なことですね。

弁護士を通して手続き書類はすでに掲出したにもかかわらず、34年経った今も許可が下りなくて、家の名義変更ができません。最近、法改正があって「登記種類保管所」に登録するだけでOKとなったので喜びました。ところがその前に手続きのキャンセルが義務とされたため、今度は提出した書類が堆く積まれた書類の中に埋もれてしまって簡単にキャンセルできません。こうしてシステムの問題は、相も変わらず継続します。

まあ、この程度のことは、世間を見れば珍しいことでないのでしょう。医療に関しては、もう書きました。それでも解決の方法がないわけではない。そう、袖の下。汚職です。TVニュースやバラエティ番組などでこの手の告発が盛んです。おなじみの超小型隠しカメラを持って悪徳役人や政治家に接触し、ワナをかけます。そして手打ちのあと、ワイロを受け渡しするところで御用となるか、盗撮したビデオをTVで暴露します。国会議員の収賄汚職は万国共通ですが、こちらもけっこうひどいもんです。

法制につても面白い話があります。交通事故があまりに多く、街道によっては救援が期待できないという理由なのかどうか知りませんけれど、救急道具一式が入った救急キットを車に義務付けようと法律を作り、方々でそのバカバカしさを指摘され、非難されていたにもかかわらず実施しました。結果は国民のほとんどが予想したように自然消滅です。働き者の議員が、ときにわけのわからない法律を作り、実施後自ら破る(違反する)ということも多い。どうも政治家には、エゴの塊のような人間が多いように感じます。

システムは利用者にとって一見わかりやすくて便利であり、信頼できそうです。しかし実は、情念(欲望)が動かす人間の意志によって影響されやすく、それを管理するものにとっても便利で利用しやすい、というのが私の結論です。

ここでイデオロギーという、面倒くさくてわかりにくいことに触れます。できれば辞書で「イデオロギー」を調べてみてください。歴史の話に戻ると、20世紀の特徴として、政治はイデオロギーによる時代になりました。19世紀の資本主義に対する応えとして、ボリシェヴィキ(共産党)がロシア革命を起こしてソ連が成立し、共産(社会)主義が資本主義に対抗します。

アメリカは資本主義と自由民主主義で、大日本帝国が立憲君主制による軍国主義によって、ヨーロッパでは、ドイツのナチズム(ファシスト?)やフランスの共和政、資本主義と立憲君主制のイギリスなどが連合国および枢軸国のグループとなって覇権を争った世紀と考えられます。大戦後、世界は共産(全体)主義vs資本(自由)主義の東西に分裂した冷戦構造となりました。

ここで脱線しますと、若いころの私は、マルクスでも読む必要があると思っていたのですが、当時の「朝日ジャーナル」を読んで、ゼンゼンないし、ほとんど意味がわからんとなって止めました。我ながらこれは無知と誤解に基づいたことで、難解で読めないほどのことではなかったと思っています。当時の毛沢東の文化大革命に恐怖したことが一因かもしれません。そしてソ連の反体制作家、ソルジェニーツィンの「ガン病棟」、「収容所群島」を読んで、共産党に近づかないようになりました。

次はウィキペディアによります。『全体主義(ぜんたいしゅぎ、totalitarianism)とは、個人の自由、個人の利益に対して、全体の利益が優先される政治原理、およびその原理からなされる主張のことである。歴史的には近現代において国力を全て総動員する戦間期にこうした主張があらわれたとされるが、今日でも、個人の自由や利益を制約する傾向が顕著な国家について「全体主義国家」あるいは「全体主義体制」の呼称があたえられている』

日本は軍国主義という全体主義的な統治体制を経験したと私は理解しています。そもそも共産主義の目的はなんだったのでしょう。「財産の共有を目指す思想。通常は生産手段の私的所有を社会的所有に変えることを理想とする」、とウィキペディアにあります。しかしながら、ソ連や中国の歴史的な実状が示すように、陰険な全体主義的体制になってしまい、汚職や権力などによって資産を私的所有する貴族モドキの特権階級が生まれ、国民の大多数については、搾取がなくなるどころか西洋の資本(自由)主義諸国より悪くなりました。

さらに悪いのは、独裁制であるため、全てが不透明で著しく公平さを欠くことだと言えます。知る権利の期待できる民主主義でないのは致命的だと思います。もし興味ある方は、ウィキペディアの「共産主義」を読んでください。日本の「世界で唯一成功した社会主義国家」についての解説もありました。これ以上イデオロギーに直接入り込むのは、複雑であるし、かつ私の知識の範囲を超えるため、次に進みましょう。

ベルリンの壁の崩壊によってソ連が分割し、共産党独裁が終わりました。その後、資本および自由主義が中国やキューバなどの一部を残して再び世界を征服したようです。そう、あなたにきつい仕事を与えてコキ使い、利益を搾り取ろうとする資本家に鉄槌(なんと懐かしい言葉でしょうか)を下し、あなたを解放して人間らしく生活できるようにしてくれるはずの希望の星、共産主義が圧倒的に少数派になっちゃったんですね。

このあと、いくらかの暗さをまとっていた資本主義は、市場原理主義などと交代し、さらにIT革命によって、暗さを脱ぎ捨てて大いに繁盛しました。バブルのように多少行き過ぎもあって、金融市場が飛び跳ねるなどして現在に至ります。そして大量生産によって工業製品は安くて高品質になり、携帯、パソコンなどの便利な商品が途上国にもどっと流れてきました。90年代の輸入品開放策によって、ブラジルの車などグッとよくなりました。なにしろ大統領がブラジル製自動車を、「荷馬車(カホッサ)」と申していたくらいです。

けれども21世紀に入った現在、資本および自由主義は理想となっているでしょうか?残念ながら答えは否定的です。98年に起こったロシア財政危機は、ヘッジファンドンのLTCMを破綻させました。当時ファンドの取引プログラムを開発した連中(「ドリーム・チーム」と呼ばれたという)が、ノーベル賞を貰った「ロケット・サイエンスのバカどもが」と揶揄された金融事件です。

日本の堀江モンなどの事件も同じことです。すなわち、市場原理主義のチャンピョン達のモラル感が問われてしまっています。投資市場のギャンブル化だけでなく、日本企業の特徴喪失や格差社会を嘆く人も多くなりました。またこの先、世界経済に溜まってきた債務と債権の歪みが一気に是正される可能性が高いと感じています。ついでに言えば、ヘッジファンドや株取引などのプログラムには、(可能かどうかわかりませんが)情念のパラメーターを入れない限り完全にならないでしょう。

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