2007-03-27

21世紀に大変革は起こるか?-2

再び覇権について:
25日にEU調印50周年記念式典のTVニュースが流れ、ベルリンのブランデンブルグ門上空に打ち上げられた花火が印象的でした。ベルリンの壁が破られたときもこんな画面だったのでないかと思えます。05年ににフランスとオランダが否決したため、批准が凍結されているEU憲法についてレポーターが言及し、統一への道のりはまだ険しいと言っていたようです。

ローマの覇権が確立して衰退したあと、ヨーロッパは数々の戦火と束の間の平和と繁栄を潜り抜けました。はたして21世紀に真の統一を成しえるのでしょうか。ローマと言えば、塩野七生氏の「ローマ人の物語」を読むと(残念ながら、私はほんの一部しか読んでいません)、感じからすれば多分、建国当時のローマはメシを食うヒマもないくらい戦争に明け暮れていたのでしょう。

また最近のある雑誌で塩野氏は、クレオパトラとアントニウスの話で、彼女が覇権拡大を進めるローマのアントニウスという誤った男を選択してしまったため、その政敵であるオクタヴィアヌスのローマ帝国に宣戦してしまい、かつての強大国エジプトを滅ぼすはめになったと書いています。なんだか弟二次世界大戦で、ドイツをパートナーに選んでアメリカに宣戦布告した大日本帝国を想像しないでもないですね。

余計なことながら、当時の隠された情勢が晴れてきた今だから言えることかもしれないけれど、当時の日本の指導部は、アメリカの嫌がらせににも耐えて痺れを切らさず、オメメをパッチリ開けて左右を確認し、見通しがついてからパートナーを決めるべきでした。

さて、まず平和の基礎となる、世界を安定させるための覇権(ヘゲモニー)について考えてみましょう。私は覇権は必要悪だと考えています。前の記事で簡単な世界史のおさらいをしましたが、当然なことながら、一強国が永久に覇権を維持できるわけがなく、いつかは舞台から降りなければなりません。

ローマは王政、共和政、帝政と形を変えながら、史上最も長く覇権を保持した国家だと思われます。では現在の単独覇権国であるアメリカはどうなんでしょう。田中宇氏はアメリカが故意に覇権の多極化を謀っていると指摘しますが、それはさておいて、中国の台頭によって覇権の流動化が起こりつつあるのは確かだと思います。アメリカにしてやられたロシアも資源を武器に、再び台頭してきそうです。

ここでちょっと脱線します。覇権国家のそれが落ちるときって、どんな感じなんでしょう。想像すれば、ジョン・タイターの「予言」なんてのは、ありえるかもしれません。すなわちアメリカに内戦が起こり分裂するというわけです。ソ連邦の崩壊は国家の分裂となって起こりました。ローマ帝国もモンゴル帝国も内輪もめから分裂して覇権を失ったのではないでしょうか。イギリスは植民地とともに覇権を失いました。

若いころの私は、ノンポリながら毛沢東共産党に脅威を感じつつ、アメリカは南北戦争以降、常に自由民主主義の一枚岩であると思っていました。けれどもヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」を読んで、なるほど、世の中は複雑だと思いました。ちょうど70年前の去年、スペイン内戦が起こってへミングウェイらが支援する共和派がファシストの支援するフランコに対抗し、人民戦線として共産党員と合同してまで戦いました。終いにはフランコ将軍が勝利してスペイン戦争が終わり、歴史は弟二次世界大戦へと推移していきます。枢軸国側に勝つため、ここでもアメリカはソ連を支援しました。

ウィキペディアによると、48年ころから50年代半ばに、アメリカでマッカシーのいわゆる赤狩りが始まります。ここではとくにコメントするつもりがありませんが、マッカーシズムの影響は、今でも続いているという記事もありました。共産党の侵食を防いだという評価があるけれど、彼の強引なやり方に、「上院に不名誉と不評判をもたらすよう指揮した」として非難され、排除されたようです。

のちに暗殺されたジョン・F・ケネディは、彼を愛国者として擁護したと書かれていました。とにかく興味深い事件で、もしヒマで興味がありましたら調べてみてください。ひょっとしたら「南京」、「慰安婦」問題などに間接的な参考となるかもしれません。

世界の政治力学は覇権の要素が増えると不確実性が増してより複雑になるはずです。実は、アメリカの国家分裂というハッとするアイデアを知ったのは、タイターよりかなり前のSF小説からでした。もう持っていないので確認できませんが、作家は確か「2001年宇宙の旅」のアーサー・C・クラークだったと思います。軍事力はともかく、中国がまだ現在のような発展をする以前のことで、先進大国として描かれていたそれに驚きを感じたと同時に、日本の存在がないことを奇妙に感じました。

当時は経済技術大国としての評判が確立したころで、遠い未来とはいえ、無視する理由は何か?と思いました。でも現在なら疑問など感じませんね。中国の軍事的台頭によって日本が中国に飲み込まれるかもしれない。改憲などは煩わしいことでしょうが、並みの国として考えると、不確実な他国に国運をゆだねるのが果たして正しいことなのでしょうか?

誰にでもある疑問として、人類が平和に暮らすことができないのはなぜか?という極めて難しい問題があります。調べていないので知りませんが、おそらく多くの論文や記事、本があるものと想像します。私については、もし詳しい検証を試みようとすればアタマが痛くなりますので(それに、この大それたテーマを論じるためにこんがらかってきそうです)、直感によってここはさらりと申します。

「紛争や戦争はあらゆる情念の凝縮であり、発散の場所である」。つまり様々な欲望。こちらでは7つの原罪(以下参照)が人間にまとわりつく限り、戦争はなくならないのでしょう。また、あなたに不謹慎と言われるかもしれないけれど、平和というと、冒険心を発揮しにくいし、かつ飽きやすい人間の特性に根ざしているかもしれません。
『ダンテの「神曲」によると"煉獄では人間の七つの原罪を清めている。 第一の環道=高慢の罪。 第二の環道=嫉妬の罪。 第三の環道=怒りの罪。 第四の環道=怠惰の罪。 第五の環道=貪欲の罪。 第六の環道=大食の罪。 第七の環道=色欲の罪』

さらにクラークの「地球幼年期の終わり」にあるように、もし人類が次の進化をするとき、肉体を捨てて実態のない精神体となったなら、上のややこしい情念から自動的に開放されるわけですから、戦争だ平和だという議論はなくなります。ちと飛躍しすぎたか?

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