2009-03-09

温暖化とは氷河期到来のこと?-2

このあいだ別なことをネットで調べていたら、前のエントリー、「温暖化とは氷河期到来のこと?」に関連した複数の記事を見つけたんです。それで今回は、同エントリーを補足する意味でそれらを紹介することにします。以下に挙げたのは、このときネット内でひろった20062月のニュースや関連記事です。

Yahoo!ニュース「地球は「ミニ氷河期」に=太陽活動が停滞-ロシア天文学者」

【モスクワ6日時事】ロシアの天文学者、アブドサマトフ天体観測研究所研究員は6日、太陽活動の停滞から、67年後に世界の気温が次第に低下し始め、1718世紀に続く「ミニ氷河期」に入る可能性があると予測した。ロシア通信とのインタビューで語った。今冬ロシアなど欧州全域を襲った寒波も地球冷却化現象の可能性がある。 (時事通信) - 2791分更新

「地球温暖化は大気中の温室効果ガスの排出にではなく太陽輻射の異常に高いレベルとその強度の長い──ほとんど1世紀にわたっての──増大に起因している」(ロシア科学アカデミー・アブダサマトブ博士 DrAbdusamatov

そして博士の未来予測として、この地球上は2012年から2015年にかけて地球上の気温は下がり始め2040年頃に底のレベルに達する。そのため地球は2055年頃からミニ氷河期に入り、氷河期はその後の気温上昇が起こるまでの約50年間続くのだと断言しています。

そして「阿修羅」サイトには、以下のような記事がありました。

米国防総省(ペンタゴン)は、03年秋に地球温暖化の影響について秘密レポートをまとめたが、その内容は衝撃的だ(2004年、英国オブザーバー紙にすっぱ抜かれた。本紙1140号/2004年4月5日号に既報)。2010年代に欧州で干ばつと寒冷化が起こり、環境難民となった人々が大移動を始め、2025年にはEUが崩壊するというのだ。

温暖化にもかかわらず寒冷化が起きるとされるのは、暖流の流れが変化すると考えられるためだ。欧州周辺を流れる暖流は、赤道付近で温められて北上し、北極海周辺で冷やされて海底に沈み込む。それが冷たい深層海流となって赤道付近に戻っていく。

海流はベルトコンベヤーのように地球規模で循環しているのだが、温暖化はこの流れをも変えてしまう。北極海の氷は、すでに40%が温暖化の影響で溶けてしまったが、レポートではあと10年くらいで完全に溶けてなくなると予測している。加えて温暖化の影響で北極海周辺に雨がたくさん降るようになるため、北極海の塩分濃度が急速に低下する。塩分濃度の低下は、暖流を海底に沈み込ませる力を弱め、その結果暖流の流れが大きく変化し、欧州周辺を流れなくなってしまうというのだ。

現在、イギリスなど西欧諸国は、シベリアのような同緯度の地域と比べて温暖な気候だが、それはこの暖流が流れているおかげだ。暖流が流れ込まなくなれば、ヨーロッパはシベリア並みに寒冷化する。人々は極寒の地を逃れ民族大移動を開始し、食糧と水の供給をめぐって争いが起こり、EUが崩壊するということなのである。

同レポートではアジアでは干ばつや砂漠化が発生し、水や食料、エネルギーの不足が2020年頃に深刻化するという。そのため飢餓と暴動がおこり、欠乏する資源をめぐって核の脅威を振りかざした戦争が始まり、世界は無政府状態に陥るとシミュレーションしているのだ。

レポートをまとめた専門家は、地球温暖化はテロよりも脅威であるとして、「地球の人口はすでに地球が養える人口を大きく上回っており、2020年には水とエネルギー不足が決定的に解決困難なレベルに達する」「危機は、5年後か50年後か100年後か、いつ起こるかわからないが、いつ起こっても不思議ではない」と警告している。

ペンタゴンレポートは、起こりうる極端なケースを想定したものだ。だから、必ずしも予測どおりに進行するとは限らないことはつけ加えておくべきだろう。しかもレポートの核心は、難民が押し寄せ、世界中が無政府状態になった時でも、アメリカは国境線を防衛し、戦争に勝利しきるとなっている。レポート自体にある種のバイアスがかかっていることは否定できない。

だが、そうであったとしても、今や米国防総省がこのようなレポートを発表する時代になっているのは知っておくべきだろう。 もうすぐ食糧不足が深刻化する。

また別のサイトによれば、映画の「デイ・アフター・トゥモロー」のソースが、実はペンタゴンのレポートであり、同映画の製作にも関与していたということです(やっぱそーだったんか)。さらに、すっぱ抜いた「オブザーバー」紙によると、このペンタゴン・レポートには、「温暖化は学説上の議論ではなく、アメリカの国防課題となすべきだ」、と記述されていた、と指摘していました。

2009-02-23

山本五十六はアメリカのスパイだった?

みなさん、先月アップしたエントリー、「2月の日本に人工地震?」で参考にした「黄金の金玉を知らないか?」ブログで、親愛なるふぐり玉蔵氏のポートレートを見て以来、いつだったか、どこかで同氏とお会いしたような気がすたんです。それとも他人のそら似かなぁ・・・・って。

それで、最近やっと誰だったか思い出しますた。その人物の写真を見つけたので下へ貼っつけておきますた。玉蔵さんはフンドシ愛好家でらっしゃるようだけど、デカパンでもお似合いではないかと思えます(シマシマよりも花柄のほうが似合うかな?)。しろーとでかつ身のほど知らずながら、氏のファッションについて口出しいたしますた。どうもほんとうに申しわけなく失礼いたしますた。


ってなことは、どうでもいいとして、拙ブログのエントリー、「『彼ら』が世界大戦を引き起こす方法とは?」で取り上げた真珠湾攻撃の話に関連し、同「金玉」ブログで最近アップされた「何のためでしょうか」には、第二次世界大戦は、まぁ知っている人は知っているのですが、海軍の上層部、山本五十六、米内光正、井上成美さんがコロッと洗脳されてしまって、日本敗戦への先導役を務めたというのは、まぁ知ってる人は知ってることなのですた、と書かれていますた。

やっぱりこの情報のソースは、ガセネッタ岡さんからなんかでしょうか?ワタスはガセネッタさんが、もしかすたら我がパソコンにへばりついてるハッカーのお友達では?と思ってます。それで、このことをちょっとだけもう知っているみなさんのために、ちょっとだけ詳しい情報を得るためにググってみました。そんなことで見つけた記事の中から、次のヤコブ・モルガン著の「山本五十六は生きていた」の引用を、補足情報として以下に紹介しておきましょう。

日本帝国海軍に中枢は欧米派で色どられ、その内なる主要な人物はユダヤ・フリーメーソンですらあった。このため、日本海軍はあらゆる太平洋上の戦闘で不可思議な動きをする。それは、敵に手ごころを加え、まるで、負けることを目的としたかの如き戦いぶりであった。また、日本陸軍についても同様のことが言えた。大本営参謀本部の高級参謀たちはつねに無謀極まる作戦計画を立てては日本軍に多大な損害を与え、多くの将兵を失う結果を招来した。

国家としてあろうことか、日本はこのような売国的戦争指導者たちによって太平洋戦争を戦わなければならなかったのである。欧州では昭和14年第二次世界大戦が勃発していたが、欧州で苦戦を続ける英仏を救済しアメリカを参戦させることはフランクリン・D・ルーズベルトの基本戦略であった。ルーズベルトはチャーチルと共謀し、日本を追い込み、先に攻撃を仕掛けさせてアメリカの世論を激高させ、対独伊戦、対日戦を正統化しようと目論んだ。

フリーメーソン山本五十六はルーズベルトとチャーチルに協力してハワイ真珠湾攻撃の構想をねった。真珠湾に集結していた戦艦はいずれも1910年~1920年代に就役した旧式艦で攻撃しやすいように並べて停泊してあった。また真珠湾は海底が浅く、海底に沈座しても引き上げが容易で短期間で修理可能であった。真珠湾攻撃は一種の茶番劇であった。

宣戦布告の通知の遅れたのも仕組まれたものであった。大使館員全員無神経怠慢な動きをとっていることは、無能な集団でない限り確信犯である。戦後、その責任についてはこれもフリーメーソンの吉田茂にうやむやにされてしまったが、当時の大使館員達は「功労者」としてその後栄進している。

また、真珠湾の陸上軍事施設対する攻撃不徹底も、アメリカ空母が真珠湾にいなかった日を真珠湾攻撃の日としたことも山本長官の策謀である。ミッドウェーで山本長官がなぜ空母のみを突入させ、自らは戦艦とともに安全圏にいたかは謎であったが、山本長官はルーズベルトやチャーチルとの約束により、ミッドウェーで日本の空母を壊滅させ次のガダルカナル、ソロモン海戦で日本軍敗北の総仕上げを行い、自らはブーゲンビル上空で戦死の狂言を実行し逃亡する。

昭和18年4月18日、山本長官は二番機の宇垣参謀長と一緒にラバウルを離陸したが、この日長官はなぜか草色の略装をまとい、護衛機を増やすことも反対した。長官の一式陸攻はブーゲンビル島上空でP38攻撃機16機に撃墜され、宇垣参謀長機は不時着した。大本営発表の死体検案書によると顔面貫通機銃傷があったとの記述があるが、墜落現場を最初に発見した浜砂少尉は傷も出血痕もなかったと証言している。

山本長官は帝国海軍崩壊のための役割をすべてはたし、暗号をアメリカに漏洩し機上死のペテン劇を演じたのである。共謀は宇垣中将(参謀長)と渡辺中佐(参謀)である。当日山本長官はジャングルを目立たぬように草色の軍装をまとい、米軍機攻撃の際いち早くパラシュートで脱出、かねて打ち合わせのガダルカナル米軍基地へ逃亡した。

事故機には風貌の似た男が毒殺されていたため、顔面の傷も存在しなかったが、山本長官の死を機上死とねつ造するため、遺体に死後損傷を加えたと推測される。検死の田淵軍医も渡辺参謀に一喝されてワイシャツもぬがせずに検死しており、すべて渡辺中佐の命令のもと「機上壮烈なる戦死」が演出された。宇垣はこののちも生き延び、終戦の日に米艦隊に突入すると飛行機に搭乗して行方を絶っているが、これも姿を消したと言うべきか。


今ちょうど、知人から借りてきた去年の「文芸春秋」10月号に載っていた記事、「新・東京裁判」を読んだところです。半藤(昭和史研究家)・保坂(ノンフィクション作家)・戸部(防大教授)・御厨(東大教授)・福田(慶大教授)・日暮(鹿児島大教授)というお歴々が、あーだこーだと「東京裁判」について議論しているわけですが、的確な疑問を呈するものの、イチバン肝心なことは出てこない。

拙ブログで取り上げているようなことを知ってか知らぬか、あるいは陰謀話などに触れるのは、権威ある学者のコケンにかかわるゆえアホラシイ、と無視しているのか?それとも社会的・職業的、あるいは物理的に抹殺されることが怖くて触れられないのか?もっとはっきり言っちゃえば、「彼ら」によって洗脳されているとか、コントロールの下にあるのだろうか?

わたしはこの記事を読んでいて、今まで得た情報からすれば、それこそアホラシイ議論と思えてきます。彼らのスバラシイ?見識と頭脳なら、現在ネットにころがっている情報やらを、狡猾なハリマンと「彼ら」の大陰謀をマジに検証したとするなら、日本がなんとなく?起こしてしまった戦争の不思議さや、単に戦争に負けたからとしか説明できない東京裁判のいい加減さや、ご都合主義・インチキさを、そしてなぜかと問う多くの出来事が容易に説明できるはずだと思えるからです。

それらは、例えば同記事中の、ある意味で東京裁判とは、昭和天皇を法廷という舞台に立たせないためのドラマだったとも言えますね、とか、どうしてああいった戦争を起こしたのか、ということを改めて考えさせる、といったことでしょう。そして「陰謀xxxx箱」にも次のような文章がありました。

南京虐殺、従軍慰安婦問題の「事実関係」問題・史実確認問題とは全く無関係に、「ひたすら対日封殺のための攻撃兵器」として、この問題を悪用・使用しようとする中国筋の姿勢、米国筋の姿勢には、日本は一切耳を貸す必要は無い。特に原油・鉄鉱石・鉄クズの対日禁輸により日本を戦争に追い込んで行った米国、さらに広島・長崎への原爆投下による日本人大量虐殺の犯人・犯罪者である「加害者=米国」に、「日本の戦争犯罪」について語る資格は、一切無い。

中南(ママ)米の先住民(蔑称インディアンと呼ばれて来た)の皆殺し、日本への原爆投下等、「米国自身の戦争犯罪」について100万回非難決議を行い、賠償を行った上で、初めて米国は「人権」について口にする資格を得る。殺人事件の裁判において、殺人犯人に、裁判長の席に座る資格など、一切無い。

2009-02-09

ノーベル賞はなんのため?

引き続き「二十一世紀のファウスト」を引用して話をしましょう。前回までのシリーズでは、赤十字社が「彼ら」によって設立されたということも話しました。余談ながら、興味があって調べたところ、赤十字社の創設に関与していたとばかり思っていた、あのクリミア戦争のナイチンゲールが、むしろそれを避けていたということでした(「ウィキペディア」参照)。なんか同社がプロパガンダに利用したようです。

そして私がもう一つ注目したカムフラージュ手段らしいのが、日本の科学界なんかでもそうなんでしょうけど、どうにもアヤシイ選考基準と思える平和賞がイッコあるだけなので、とにかくハク好きのお隣さんが他の分野でも是非とも欲しいと思っているらしい、あのノーベル賞のことニダ。で、同書の第三章、123ページに次のような記述がありました。

一九四〇年六月十日。ノルウェーはドイツに降伏した。フィンランドはソヴィエトに占領された。しかしフィンランドとノルウェーの中間に位置するスウェーデンは中立を維持しえた。歴史学者の中にはスウェーデンが中立を守っていたからだと馬鹿げたことをいう者がいる。フィンランドもノルウェーもそれを望んでいた。しかし占領された。どうしてか。答えはいとも簡単である。

この国にノーベル産業があり、火薬と兵器をイギリスとフランスの両陣営のみならずドイツ、ソヴィエトの陣営にも提供していたからである。「アルフレッド・ノーベル社」はイギリスに「ICI」を設立した。ノーベル産業は二つの会社を使い分けて、ドイツと連合国軍に火薬を売りつけていた。一九三九年十一月三十日、ソ連軍はフィンランドに侵入した。ルーズヴェルト大統領は「この恐るべきフィンランド略奪」と叫んだ。

フィンランドはアメリカにドル援助を依頼した。「そのドルでスウェーデンから兵器を買うためだ」と言った。一九四〇年年四月、ドイツ軍は軍用船でノルウェーに侵攻した。デンマークと同じように数週間後には完全に占領された。スウェーデンだけは無事であった。スェーデンからドイツとソヴィエトは武器を買っていたからだ。それだけではない。このノーベル賞の国はイギリスと組んで戦争を仕掛けた黒い貴族たちが住む国だったのである。

ユダヤ王ロスチャイルドとノーベル家がノーベル平和賞を決定するのである。戦争と平和はこの黒い貴族たちが決定する重要事項である。中立国とは黒い貴族たちの最終的な避難国である。彼らは死の嘆きを交わしつつ割れ目や亀裂を平和の地に作ろうとする。そして乱を演出して平和を取り戻す。その時に、ノーベル平和賞や経済学賞を用意する。彼らの『平和』に貢献した者たちへの褒美のために。

我々はというか、少なくても私は、ノーベルがダイナマイトという、結果的に人類に災禍をもたらすものを発明した悔恨の表明としてノーベル賞を設立した、というような「美談」?を長いあいだ信じていました。しかしながら同書を読むと、まったく違った印象になっています。そもそも私は、現在のノーベル産業がなにをやっているのか知らなかったわけで、上のようなことをあらためて指摘してもらえば、タスかにそーかも。いや・・・むしろ当然といえばとーぜんのことだったのかな?まあ・・・ノーベル「平和賞」という作られたイメージにたぶらかされていたんでしょうね。

そして、J・シフを背後で操り、実際の資金を提供したのは、ユダヤ人財閥のロスチャイルド家であった。ロスチャイルドの代理人J・シフのクーン・ロブ商会と同様に、ロスチャイルド家の有力代理会社に「パンミュア・ゴートン商会」がある。この商会はあのノーベル賞で有名なノーベル産業(武器製造メーカー)とも密接な関係にあった。

クーン・ロブ商会がアメリカで、パンミュア・ゴートン商会がイギリスで、ロスチャイルドの代理会社の役を引き受けて日本の公債を売った。日露戦争はノーベル産業とロスチャイルドの連合体の策略のもとに起こったのである、という、これまた知らなかったノーベルに対するチクりです。

さらに50ページには、ノーベル賞はユダヤ王ロスチャイルドとダイナマイト産業のノーベルが彼らの意に添った人間に授与する。特に平和賞は「見えざる政府」の重要な一員になったことの証となる、って書いてあるけど、すると佐藤栄作さんなんかはもちろんそんな感じで、冒頭に挙げたように、「ニダ」さんとこの平和のヒーロー、キム・デジュン(金大中)さんもやっぱりそうか。アル・ゴアさんは大ボラを吹いているようだし(「洞爺湖たぶらかし環境サミット」参照)。

ところで脱線しますが、ゴア氏のCO2温暖化説について、私は稼ぐためだとばかり思っていたけど、もっと深い理由があるのでは?と思えてきたんです。なにかを隠すためではないかと。でも、そいつはもっと確信が持てるまでのお楽しみ?としてあっちへ置き、このあと続けて読んでいくと、以下のような記述がありました。

スウェーデンのアルフレッド・ノーベルはダイナマイトの発明で巨利を得た。彼の遺言でノーベル賞が制定された。制定委員の大半はロスチャイルド、ベーリング等の黒い貴族たちの中から選ばれた。この賞は、今日においても見えざる政府の力が働いている。日本人のほとんどは、この賞が尊いものと信じ込み、疑うことさえしない。しかしヨーロッパやアメリカで歴史の真実を知る人たちは、この賞の秘密を知り、この賞から遠ざかっている。
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ハロルド・ラスキーとジョン・メイナード・ケインズはイギリスの貴族たちが、自分たちに都合のいいように創り上げた御用経済学者であった。私はラスキーとケインズの経済学の本を読んでみて、この二人の経済学者は、世界を戦争に導くために、拡大経済を世界に広めるためにのみ、本を書いたと思うようになった。この二人の御用経済学者も今はもう過去のものとなったのであろうか。あのノーベル経済学賞は、この二人の経済学の延長線上にある者のみに授与されている。自然経済学や縮小経済学を説く者たちは、ノーベル賞は決して貰えない。
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ヒトラーはボールベアリングが手に入らないから戦争は不可能だと見えない世界政府の使者に告げた。ハリマンはアチソンに処置を命じた。SKF(スウェーデンの世界最大ベアリングメーカー)のアメリカ工場はフィラデルフィアにあった。アメリカはこの工場が敵性施設にリストされると政治力を発揮し、部下たちを使いリストからSFKを外した。J・P・モルガンとロスチャイルドはハリマンの要請を受けてアチソンに全面的に協力した。かくてヒトラーは第二次世界大戦中ボールベアリングをSFKから貰い受けた。これが戦争なのだ!

同じSFKのボールベアリングを使用した高射砲をドイツの軍人もアメリカの軍人も撃ち合って死んでいったのである。いいタマだ!SFKのボールベアリングは。このSFKとダイナマイトのノーベル社がスウェーデンの兵器産業の代表格である。この二社は見えざる世界政府と地下深く結ばれていて、ナチス・ドイツを戦争に導き入れ、日本に真珠湾攻撃をさせたのである。ノーベル賞とは何か。見えざる世界政府に貢献した者に授けられるダーティこの上ない賞である。読者はノーベル賞を少しは理解できたであろうか。
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ここでもう一度歴史を遡ってみる必要がありそうだ。ルーズヴェルトはユダヤ王ロスチャイルドの血族にして配下のバーナード・バルークに育てられて大統領になったことはすでに書いた。ルーズヴェルトは大統領になる前からバルークの作文を大衆の前で読み続けた。

「ソヴィエトの力を平和へと結びつけよ」バルークはユダヤ系の新聞「ニューヨークタイムズ」のモスクワ特派員を大統領となったルーズヴェルトの執務室に行かせた。ウォルター・デュランティと名のる特派員はスターリンの部屋に入ることを赦された特別の男であった。さよう黒い貴族たちの回し者だった。スターリンの口述をとり世界にニュースとして流すのはこのデュランティだけであった。彼はモスクワ報道でピューリッツアー賞を受賞する。あの賞もノーベル賞と同様黒い貴族たちが授ける賞である。

そして以下の記述には、というか、渡部悌冶の「ユダヤは日本に何をしたか」(旧題・攘夷の流れ)の中の一文を記す。渡部は戦前、当時のユダヤ研究の最先端機関であった「国際政経学会」の監事を務めた、とするメガトン級のチクり文章には、再びオドロ木・モモの木・核ヘイ木そのものでした。とても信じられる話じゃないけれど、もしこれがヨタガ木(書き)でないなら・・・広島・長崎の原爆に日本人自体がかかわった可能性もあるってわけ?

戦時中、日本で一日も完成が待たれていたマッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めるといわれていた新兵器は今日でいう原爆のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では実験段階ですでに完成していた。しかし、その基礎理論が完結をみないでおり理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。

それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説としてはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩らしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁された。ところがそれを、当時理研にいた湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にならず米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。まさに国賊である。

戦後アインシュタインは平和の使徒のような顔をした。そして黒い貴族の理論的リーダーの一人バートランド・ラッセル(ノーベル文学賞受賞)と謀り、湯川秀樹(ノーベル物理学賞受賞)を誘い平和委員会を作り、原子爆弾反対の平和運動を展開した。湯川秀樹は平和の使徒の役割を黒い貴族たちから強制され続けた。戦後の日本のインテリ達がハロルド・ラスキーと並んでもてはやしたのが、このバートランド・ラッセルである。

この男は女たらしでいつも借金だらけだったのでユダヤ王ロスチャイルドのいいなりだった。平和運動をいつのまにか世界統一政府構想に結びつけた。日本の馬鹿どもも世界は統一された政府のもとで統一されるべきだと騒いだのである。ラッセルはハロルド・ラスキーとともにアメリカに共産主義を導入しようとしたコミュニストの一面を持つ。一時ラッセルはスターリンの帝国に原子爆弾を落とせと騒いだ。この男がラッセル平和財団を作るのである。

ということで、かなりきつーくチクっています。もひとつオマケに引用すると、ピアードは夫婦で大著「アメリカ文明の興起」を書いた後に「アメリカ精神の歴史」を書いた。ルーズヴェルトの戦争を批判する本を書き出版会から葬り去られた。彼はマルクス主義がアメリカに与えた悪影響について冷徹な目で批判し続けた。戦後ロックフェラー財団やCFRはイギリスの「黒い貴族たち」と組んで国際主義や世界連邦という言葉を流行らせようとしていた。

ビアードはこの言葉の持つ恐ろしさをしり警告し続けた。そしてついに歴史学者の地位からも追放された。ファイスがビアードの地位を奪ったのである。やがてファイスは「ピューリッツアー賞」を授与された。ピューリッツアー賞もノーベル賞も「黒い貴族たち」や「合法的マフィア」の思惑の賞なのである、という記述もありました。

それで、ノーベル賞について「ウィキペディア」を参照してみたところ、次のようなことが書かれていました。

日本人としては、第1回から北里柴三郎や野口英世などが候補としてエントリーされていたが、受賞はしなかった。北里にいたっては、共同研究者であったエミール・アドルフ・フォン・ベーリングが受賞したにも関わらず、抗毒素という研究内容を主導していた北里が受賞できないという逆転現象が起こっていた。これは後年に公開されたノーベル財団の資料から、北里が黄色人種であったことが原因と判明している[要出典]

また、山極勝三郎と市川厚一は、ウサギの耳にコールタールを塗布し続け、1915年に世界初の人工癌発生に成功したが、1926年のノーベル賞は癌・寄生虫発生説のヨハネス・フィビゲルに授与された。世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎は、ドイツ語への翻訳で「世界初」が誤って記されなかったため注目されず、1929年のノーベル賞を逃した。

また、1970年に大澤映二・豊橋技術科学大学教授はフラーレン (fullerene C60)の存在を理論的に予言したものの、英語論文にせず邦文でのみ発表したため、1996年のノーベル賞を逃し、顛末は当時の雑誌(Nature 384, 608 (26 December 1996))にも掲載された。

文学賞は西側の文化や主張を取り入れた作品が多く受賞したので批判があった(近年是正されたが「大陸持ち回り」との批判が出ている)。文学賞は歴史書や哲学書も受賞したことがあったが、イギリス元首相ウィンストン・チャーチルの「第二次世界大戦回顧録」の受賞が選考対象の定義をめぐって論争になり、これ以降純文学に限るとした。

平和賞は戦争を起こした当事者が受賞して批判になった。ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー元米国務長官と北ベトナムのレ・ドゥク・ト元共産党書記がベトナム戦争終結を約したパリ協定の功労による平和賞を受賞したが、レ・ドゥク・トは受賞拒否して戦争も続いている。1945年に国連創設の功労で授与されたコーデル・ハルは日本に対米開戦を決意させたハル・ノートを提示した国務長官である。

平和賞は受賞した人の国から反発されることがよくある。その例として、ドイツのカール・フォン・オシエツキー、ソ連のアンドレイ・サハロフ、チベットのダライ・ラマ14(彼の場合反発はチベットを支配している中国からである)、ミャンマーのアウンサンスーチーが有名。

だからといって、受賞者は辞退するニダ!などと僭越なことを私はここでヌカスわけじゃなくて、ハクのつくナントカ賞や「権威」という得体の知れないものには、何事にもウラがありそうだ、と言いたいだけです。ところで核兵器の基になった研究もそうだし、LHCの危険性(「LHCに進入したハッカーは誰か?」参照)やノーベル賞受賞者、小柴氏のニュートリノ実験も、まだ検証されてないとはいえ、以下のような現象があるかも、ということらしい。

となれば、素粒子の研究も人類にとって偉大な科学の進歩どころか、滅亡への最後の一歩になりかねないでしょう。そして、どうもその危険性が限りなく高まっているようです。どっちかっていうと、そんなやばい兵器・装置やガラクタ金融理論になるノーベル賞より、(多少アレな感じがあっけど)イグノーベル賞(「イグノーベル賞」参照)受賞なんてほうが実際に役立ちそうな気もする・・・・?

2008-12-26

マッチョ・プーチン VS マッチョ・オバマ


プーチン: もしエモノを使わないサシでの勝負なら、オレのこのマッチョな体とジュードーの必殺技にかかれば「ブッシュ・シューズをかわしたブッシュのフットワークでもかなうまいぜ。しかし、なかなか釣れんな。


オバマ:  ブレジンスキー(もちオバマを裏でピコピコと操作する「彼ら」の直接コントローラー、ズビグニュー・ブレジンスキーのこと)から言われたように、ジムでせっせと鍛えたんだ。なんてったってボスは嫌いなロスケの写真を見せられたらしいんだな。これでタフなプーチンやシナに対抗できるってもんだ。

で、麻生サン。ゴルゴ13なみに鍛えてる?

2008-08-22

「太陽直視」について

マネク氏に関する記事を「X51 ORG」サイトで読み、試みに「太陽直視(Sungazing)」(21世紀に大変革は起こるか?-18参照)を始めてから2年半近くなりました。ここで最初に断っておく必要があることは、私が始めた動機が病気にかからなくするためと、本当に不食ができるのか(よーするにチャレンジ)、ということで、例えば、スピリッチュアルなインスピレーションを得るための動機などありませんでした。

したがって音楽を聴きながら、ときにはツマランことを考えながら(それでもスケベなことを考えたことはなかったな)直視していました。このテーマについては、なにかの話のついでに、すでにいくらかのエントリーで話題にしています。それで繰り返しになるけれど、お天とうさまが顔を出してくれるかどうかしだいなので、毎日一時間の「太陽直視」ができるわけでなく、月によっては日数の20%にも及ばないこともありました。

こちらの8月は例年天候が安定していることもあり、今月はかなり直視日数を稼いでいます。また、季節の移行によって日の出・日没位置が大きく移動するため、我がマンションから直視できる状態も大きく変化します。そのため現在は日没一時間前から始めているけれど、これから先は、日の出を直視することになるでしょう。

さて、私がこれを始めたころネットを検索したとき、日本語による「太陽直視」ないし、「Sungazinq」の記事はほとんどなかったのですが、最近はけっこう見受けられるようになりました。それでも私ぐらい長く実行した体験談を見つけることができません。誰かネットで記事にしてくれれば参考になるのですが。そんなことで、ここでは最近の私のことを話しましょう。

最近、このことに興味を持ったあなたにとって、一番関心のあることはなんでしょう?私が予想するに、やはり「不食」でないでしょうか?すでに書いたように、私はマネク氏の主張するような不食を(まことに残念ながら)実現できていません。それでもときどき食欲が落ちるとき(直視の影響と思われる)があって、数年前に比較すれば、明らかに低カロリー(変動しますが、11001500kcal程度か?)で暮らしています。私は自然に食欲がなくなって不食になる、という同氏の主張に期待していたので、自らの意思で不食を強いる気持ちなどなかったし、それにネット内では、不食だと主張してインチキをやっている人々がいる情報も見かけました。

ただ私の場合、経験的にカロリーの摂取量とメタボリズムとの関係がないみたいなんですね。栄養のバランスなんてことも考える必要ないみたい。どんな食品でも空腹感を満たせばそれでOKかも、という感じがするんです。とはいっても、乳製品を食してジャンクフード・人工合成飲料の類や四足動物の肉を飲食しないようにしています。過激な運動をしたからといって、エネルギー源となる炭水化物をとる必要がとくにないみたいだ。これはあくまでも感じとしての話だけれど。やろうと思えば、果物と野菜・大豆食だけでも元気に生きていけそうです。

それで次に、肝心な免疫のことです。エントリー、バリローチェ-2で触れたように、スキーへ出かける前にカゼを引いてしまったし(ただし問題なく元気だった)、ついに持病のヘルペスでも、3ヶ月で再発してしまった。そんなわけで、再びがっかりさせられたところです。ただ幸いなことに、ヘルペスはいつもよりも小さい範囲で発病し(水疱の数が少なかった)、より軽い症状です。

でも実は、別のもう一ヶ所のヘルペスのほう(こちらのほうが頻繁に出るんだけど)に、このあいだ前兆、つまり軽い痛みがあって、マズイな、と思っていたら結局でなかったんです。ということは、9ヶ月間発病していないという解釈になりますか。まあ、どっちにしろ、現在の私の判断では、まだ確実な効果があったとは言えません。

そして、セロトニンの影響なのか、最近めっきり睡眠時間が短くなっています(もっとも、オマエ、そりゃあトシ《あとン月で満60歳》だよ、なんて言われそうか)。5時間~6時間といったところでしょうか。良く言えば、夜に強くなったということかな?このため睡眠不足を感じると(ほとんど毎日)、10分ほどソファーでの仮眠を、ときには複数回しています。あと特筆すべきことは、「バリローチェ-2で述べたように、ひとみの色(虹彩)が薄くなってきたことです(ただし、なぜかツヤも増したようだ)。たぶん紫外線によってメラニン色素がやられた、という説明が正しいのでしょう。

このことについては、21世紀に大変革は起こるか?-18のなかで、マユツバものでは、目の色が褐色からブルーに変わったなどというものもありました、と書きました。これって、本当のことだという可能性がでてきちゃったな。余計なことながら、これを応用すれば、ひとみが黒か褐色の日本人なら、太陽直視を長くやっているかどうかの「目」安になるかも。

しかし、セロトニン・メラトニンの影響(進入したハッカーは誰か?-3参照)でしょうね。私の精神状態の変化については否定できないかも。自己診断ながら、不安やストレスを感じることが少なくなり、より感情が抑えられて落ち着いてきたように感じられます。そんで?もう止めるか?ですって?いえ、みなさん。それでも可能性を捨てきれず、まだ続けることにしています。そのうち、もう少しはっきりした効果がでてくるかもしれないから。今のところ目には問題なさそうだし<ウインク>

2008-08-18

ブッシュ大統領の祖父はヒットラーを支援した

過去にアップしたエントリー、「彼らが我々をたぶらかしている-3」に、時代は飛びますが1939年に始まった第2次大戦において、現大統領ジョージ・ブッシュの祖父プレスコット・ブッシュは、1942年に新聞に関係が暴かれるまでナチスに融資していたことが知られています、という、転載した記述があります。デーヴィッド・アイク氏もこのことについて触れていたようです。それに、「Anti-Rothschild Alliance」(「ブッシュ家とナチスの関係」ページ)や前回の「ジェラス・ゲイ」(現「INTELLIGENCE ARCHIVES」)サイトにも、「阿修羅」サイトから転載された同様なものがありました。

今回はこの件に関し、私も「阿修羅」から転載して、まだ知らん、読んでないな、というみなさんに紹介することにしました。
全米マスコミが60年間隠蔽しつづけた“爺ブッシュとナチスの腐れ縁”が政府公文書ではっきり確認された

上記表題のニュースを『ニューハンプシャー・ガゼット』紙が報じています。ブッシュ家とナチスとの腐れ縁については、勇気ある独立系の調査報道ジャーナリストによって、かなりの詳細が伝えられてきましたが、主要メディアはそれを黙殺してきました。(今も黙殺しているし……。)

この記事には、プレスコット・ブッシュやハリマンと、ナチスのパトロンだった産業資本家との腐れ縁の大雑把な輪郭が書かれています。その詳細について、米国のジャーナリストたちが暴露してくれるのを期待したいところです。しかしそうした話題よりも興味深いのは、米国のメディアがこの腐れ縁を見て見ぬ振りして、独立系のジャーナリストたちの努力の成果を罵倒したり踏みにじってきたことが、この新聞記事で“内部告発”されていることです。

ブッシュ家の「秘密」を暴くのは文字どおり命がけの冒険のようです。小ブッシュが弟の“シマ”であるフロリダで開票詐欺を行ない大統領の椅子をネコババしてからほどなく、その伝記作家が怪死を遂げています……で、これが問題の記事です。

ニューハンプシャー・ガゼット(20031010日付)
http://www.nhgazette.com/cgi-bin/NHGstore.cgi?user_action=detail&catalogno=NN_Bush_Nazi%20Link
Bush - Nazi Link Confirmed
(ブッシュとナチスの結びつきが確認された)

ワシントンDC発――全米マスコミが60年にもわたって見落とし、拒否さえしていたことだが、このたび暴露された国立公文書館と議会図書館の所蔵文書により、現職大統領ジョージ・W・ブッシュの祖父であるプレスコット・ブッシュが192642年にナチス軍拡・戦争体制の財政基盤のビジネスパートナーとしてだけでなく、それを支えた米国の銀行経営者としても暗躍していたことが明らかになった。当時、米国議会はプレスコット・ブッシュとその「敵国」の実業パートナーに厳しい対応をとっていた。

今回見つかった文書には、ブッシュとその仕事仲間が――連邦財務省とFBIの調査によれば――ドイツの産業資本家フリッツ・ティッセンと資金提携していた事実を隠そうとしていたと、はっきり記されている。鉄鋼石炭王ティッセンは1920年代なかばから個人的にヒットラーに財政支援を行ない、ヒットラーがドイツ国内法や民主制を転覆して権力を掌握するのを手伝った人物である。

さらにこの機密解除された公文書によれば、プレスコット・ブッシュと彼の仲間であるロウランド・ハリマン(当時の米国外交界のアイドルだったエイヴレル・ハリマンの弟)やジョージ・ハーバート・ウォーカー(現職ブッシュ大統領の母方の祖父)などが、米国が開戦して以降も8ヵ月ちかくこのドイツ産業界の大実業家と取引を続けていたことが生々しく記されている。マスコミはなぜか完全に無視してきた。

こうした歴史的事実はこれまで60年間にわたって米国のマスメディアではまったく報じられてこなかった。この事実の概略は、インターネットや地味な書籍で指摘されてきたが、マスコミもブッシュ家も「根拠なき非難」であるとして無視してきたのである。それどころかブッシュ家の人々を描いた「公式」伝記の著者たちも、大統領の歴史を綴ってきた研究者たちも、第二次大戦とその後の経緯を描いた米国史の出版社群も、この事実から目をそらしてきたのだ。

ホワイトハウスに電話してコメントを求めたが、返答はなかった。1942年の夏になっても……

ブッシュとハリマンとティッセンの米国における事業活動は、ブロードウェイ39番地にあった一続きのオフィスで行なわれ、プレスコット・ブッシュがそれを管理していた。この共同事業は1942年7月30日に『ニューヨーク・ヘラルドトリビューン』紙で暴露され、それがきっかけで詳細の解明作業が始まった。この新聞暴露は、米国がドイツと開戦して8ヵ月ちかくのちのことである。

「ヒットラーの守護天使は米国の銀行に300 万ドルを保有している」――こんな見出しを掲げた『NYヘラルドトリビューン』の記事は、記事の冒頭でフリッツ・ティッセンを「アドルフ・ヒットラーを 10年来支え続けた最初からのパトロン」だと紹介していた。事実、この鉄鋼石炭王は192310月以来、ヒットラーを強力に資金援助していた。これはティッセン自信も『私はヒットラーのパトロンだった』という自伝で書いていることだ。同書でティッセンは、ヒットラーやゲッベルスやルドルフ・ヘスとも個人的親交があったと告白している。

NYヘラルドトリビューン』には匿名情報源の話として、ティッセンの米国の「たくわえ」が実はゲッベルスやヘルマン・ゲーリングやハインリッヒ・ヒンムラー、さらにはヒットラーなど、「ナチスのお偉方」の所有物だという説も載せていた。

純粋なるビジネス

ナチスの隠し財源とまで言われた「問題の銀行」とは、ニューヨークシティの「ユニオン銀行株式会社」(UBC)のことだ。同銀行は1924年にW・エイヴレル・ハリマンが、ティッセンとそのオランダの企業である。「貿易航海銀行株式会社」の代理人として設立していた。各種の政府文書によれば、ユニオン銀行はティッセンが支配していた多くの企業や資産の手形交換所の役割を果たしていた。そうした企業のなかには、10社ほどの個人企業もあった。

ユニオン銀行は、海外からの金や鉄鋼や石炭、あるいは米国の財務省証券や戦時国債を購入し、その海運輸送を行なっていた。ティッセンの下で「頭取」としてユニオン銀行の運営管理を行なっていたのは、オランダ生まれで米国に帰化したコーネリス・リーヴェンスという人物である。そしてロウランド・ハリマンが「会長」、プレスコット・ブッシュが「社長」を名乗っていた。

NYヘラルドトリビューン』の記事ではブッシュもハリマンもユニオン銀行の経営者だったことや、ユニオン銀行の個人銀行としてブラウン・ブラザーズ・ハリマン社がビジネスパートナーだった事実を明示していない。当時作成されたFBIの秘密メモは、ブッシュ家やハリマン家の名前を出してはいないが、欧州におけるヒットラーの略奪行為がこのまま続いて行くなら政界の有力者たちが米国政府の公式の調査対象になるだろうと書かれている。

「ヒットラーの守護天使」を暴き立てた記事が発表されたのちも、ティッセンとのいかがわしい金融同盟からブッシュとハリマンが手を引くきざしは全くなかった。それどころか彼らは「ユニオン銀行が事実上、米国におけるナチスの偽装機関になっている」と報じた同紙を攻撃していたほどだ。

ところが政府文書には、こうした態度とは裏腹にブッシュとその商売仲間は、逃げ口上を打って自分たちの事業の正体やら会社所有の事実関係を隠そうと懸命だったことが、ありありと記されている。こうした隠蔽工作は米国が参戦して顕著になったという。さらに政府文書では、ティッセンじきじきに任命され、ロッテルダムに本拠をおくティッセンの「貿易航海銀行株式会社」の米国案件を管理する番頭役として20年間にわたってユニオン銀行の経営を行なってきたコーネリス・リーヴェンスが、米国政府の捜査官に対してオランダの貿易航海銀行のこともその銀行にティッセンが関与していることも知らないと繰り返し否認を続けていたことも、はっきりと記述してある。

ジョージ・ハーバート・ウォーカーもユニオン銀行創設以来の経営仲間だったが、彼は1919年以来、ハリソン家とつながりを持っていた。1922年にウォーカーとW・エイヴレル・ハリマンはベルリンに行き、自分たちの金融投資会社のドイツ支店を開設した。この会社はもっぱら鉄鋼や石炭などの重要軍需物資によるカネ儲けを狙っていた。

ウォーカーとハリマンがドイツに設立した共同会社には、ヒットラーの勃興を支えたもうひとりのドイツ人大立役者であるフリードリッヒ・フリックが共同経営者として参加していた。そしてフリックは、ティッセンと共にドイツ合同製鋼を経営していた。合同製鋼はナチスを“戦争機械”に育て上げた巨大企業である。フリックは自らが所有する鉄鋼・石炭・軍事資源と奴隷労働を使ってヒットラーの戦争を支えた。この行為により、戦後はニュルンベルク裁判で有罪判決を受け、懲役7年の刑が言い渡されている。

ファミリービジネス

プレスコット・ブッシュはウォーカーの娘であるドロシーと結婚し、1926年にウォーカーはブッシュを民間金融投資会社W・A・ハリマン商会の副社長に据えた。この会社もやはりニューヨークに本拠を置いていた。ブッシュはのちに世界最大の民間投資銀行に成長したブラウン・ブラザーズ・ハリマン社の共同経営者になり、最終的にはユニオン銀行の社長になって同銀行の株式を所有するわけである。

ただし政府文書によれば、ブッシュもハリマンもリーヴェンスも他のユニオン銀行の株主たちも、実際にはティッセンとそのオランダの銀行の身代わりに「名義人」すなわち“幽霊株主”をしていただけだという。つまり彼らはドイツの上客の命令で動いていたわけだ。ユニオン銀行は差し押さえられた。

19421020日、「対敵通商法」の定めにもとづき米国議会はユニオン銀行を差し押さえ、戦後には資産を精算した。この差し押さえは外国資産管理局の資産帰属命令・第248号によって承認され、合衆国外国資産管理官レオ・T・クロウリーがこの命令書に署名していた。

その2ヵ月前、議会はやはり「対敵通商法」にもとづき、ブッシュとハリマンが共同経営していたティッセンの企業である「ハンブルク・アメリカン運輸会社」を差し押さえていた。これはクローリー管理官の署名が記された資産帰属命令・第126号で承認されていた。

また、ユニオン銀行の差し押さえが実施された8日後にも議会は「対敵通商法」を根拠に、ブッシュとハリマンとティッセンの共同経営企業2社――「オランダ・アメリカン交易株式会社」(資産帰属命令・第261)と「継目無し鋼材株式会社」(資産帰属命令・第259)――を差し押さえている。

同年11月には議会は「シレジアン・アメリカン株式会社」のナチス資産を差し押さえたが、同社はI・G・ファルベン社と共同で、アウシュヴィッツ強制収容所でに奴隷労働によって利益を得ていたという。IG・ファルベン社は産業界においてヒットラーの三番目に大きな後援者であり第三帝国の経済産業基盤をナチスとともに作り上げた企業だ。】

公文書資料館に保存されていた文書からも、ヒットラーが戦争準備を進め第二次大戦の発端となるポーランド侵攻を行なった1939年当時に、ブッシュとハリマンが金・石炭・鉄鋼・米国財務省証券・米国戦時国債などの価値ある米国資産を海運輸送で海外の顧客に送っていたという事実が、はっきりと記されている。

通り一遍の報道

ブッシュとハリマンとティッセンが共同経営していたユニオン銀行と他の4つの企業が差し押さえられてから、ずいぶんと年月が経過した1944年の1216日になって、ようやく『ニューヨーク・タイムズ』が25頁というまったく目立たぬ場所に、ほんのわずかな記事を載せた。しかもそれはユニオン銀行が「事業本拠地をブロードウェイ120番地に移転する許可を受けた」という記事にすぎず、同銀行がすでに米国戦争府に差し押さえられたことや、新たな「本拠地」というのが外国資産管理局の所在地だという事実はひとことも報じられなかった。ユニオン銀行以外の周辺企業も議会に差し押さえられていたのに、そのことについても『ニューヨーク・タイムズ』はまったく触れていない。

いまだにマスコミはなぜか沈黙を守っている

こうして『ニューヨーク・タイムズ』に短報が出たっきりで、以来、ブッシュ家の顔ぶれが選挙に出たことが幾度もあったのに米国のニュースではこの件は全く報じられなかったし、ブッシュ家のことを描いた主な伝記類もこの件はまったく触れずにきた。ただし『ジョージ・H・W・ブッシュ:非公式伝記』(ウェブスター・タープリー&アントン・チェイトキン著)は、この件を詳しく伝えている。チェイトキンの父親は1940年代に弁護士をしていて、ブッシュ・ハリマン・ティッセンの共同会社の被害者たちの仕事を手がけていたのである。

この『非公式伝記』はブッシュ家がナチスと提携関係にあった事実を詳細かつ正確に解説している。タープリーとチェイトキンは入念な資料調査でこれを書き上げたのだが、米国の主流報道機関は同書の記述を報じることもなかったし、調べようともしなかった。大手書店はいずれも同書の販売を拒否した。ブッシュの支持者たちがこの本を「偏った内容でウソが書いてある」と非難したからである。タープリーとチェイトキンは有名新聞に書評をしてもらおうと奮闘したが、リンドン・ラルーシュが率いる組織が発行元だったので、すげなく拒否された。……しかし、版元がどこであれ、事実は事実である。

ブッシュ家がナチスと提携していたことは、何年もまえからさまざまなインターネットのサイトに掲載されてきた。たとえば「BuzzFlash.com」や「TakeBackTheMedia.com」などである。だがオンライン・メディアでこの事実を独自に確認したものは、皆無のようである。オンライン・メディアだけでなく、主流派のマスコミだって第二次大戦以来、ブッシュ家がナチスと提携していたという訴えを立証することも論破することも全く試みてこなかったことは歴然としている。それどころか、こうしたインターネット・サイトや「非公式」書籍を、なんらジャーナリストらしい調査や真相究明作業を行なわぬままに放逐したり信用失墜しようと試みてきたのである。

ブッシュをかばう忠臣メディアたち

『ナショナル・レヴュー』誌は今年の9月1日号にホワイトハウス担当記者バイロン・ヨークの雑感記事を載せた。そのタイトルは「ブッシュ嫌いの年代記」。出だしはこんな具合のおふざけ口調だ――「ジョージ・W・ブッシュの……いやいやブッシュ家そのものの血にまみれた歴史をご存じか? 大統領のナチスびいきをご存じか? 彼の人類に対する罪業をご存じか? ついでにといっちゃなんだが、ジョージ・W・ブッシュが札付きの精神薄弱者だってことをご存じか?」 かくしてヨーク記者は「ブッシュは精薄社」だという話を“知能指数をからめたデッチ上げのウソ”だとこきおろす。だが彼とてブッシュがナチスと手を結んでいた件につちえは論破できなかったのである。

もっとリベラルな『ボストン・グロウブ』紙だって、9月29日付けの紙面に載った『リーズン』誌記者キャシー・ヤング執筆のコラムが、「インターネットにはブッシュ恐怖症患者」が蔓延しており、そうした患者は「ブッシュ家がナチスと結びついていたという馬鹿げた主張を繰り返している」と書いていた。

ポーランドのメディアがこの話題に取り組んだ

『ニューズウィーク・ポーランド版』は2003年3月5日号に「ブッシュとナチスの過去」についての短い記事を載せた。ニュージーランドの『スクープ』( http://www.scoop.co.nz )が著作権許諾を得てこの記事の英訳を掲載したが、それによればポーランドの『ニューズウィーク』は「ブッシュ家はアウシュヴィッツ強制収容所で展開された囚人たちの強制労働から収獲を吸い上げていた」と書いていた。この記事では、ブッシュとハリマンとティッセンのさまざまな共同会社が米国政府に差し押さえられた事実についても報じている。

米国メディアはいまだ“あっしには関わりのないことでごゼエやす……”

ブッシュとナチスの腐れ縁を記した政府文書が見つかった、という情報は8月29日(金曜日)の朝にマスコミ界にもたらされた。だが『ABCニューズ』『NBCニューズ』『ニューヨーク・タイムズ』『ワシントン・ポスト』『ワシントン・タイムズ』『ロサンジェルス・タイムズ』『マイアミ・ヘラルド』など、米国の大手報道機関はいずれも調査取材を繰り返し拒否したのである。『ニューズウィーク』のマイケル・イシコフ記者は90年代のクリントン大統領とルインスキー嬢との不倫事件のときには数々の大型スクープを飛ばしてきたジャーナリストなのだが、彼も国立校文書館の所蔵資料をもとにした独占記事を書かないかという提案を二度にわたって拒否したという。

戦いすんで……

コーネリス・リーヴェンスとそのドイツ人仲間が番頭役をしていた数々の企業を差し押さえたのち、米国政府はブッシュやハリマンらと戦後こっそり和解していた。ブッシュとハリマンは企業資産差し押さえへの賠償金として、それぞれ150万ドルを現金で受け取ったのである。

1952年にプレスコット・ブッシュは連邦上院議員に選出されたが、この時、彼がナチスに関与していたという“隠された過去”について報じたメディアはひとつもなかった。その後、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュも、ジェブ・ブッシュも、そしてジョージ・W・ブッシュも様々な選挙に立ったわけだが、そのたびごとに行なわれた選挙戦関連報道の記事を調べても、ブッシュとナチスとの腐れ縁を米国のメディアが報じた記録はまったくないのだ。もっとも、200011月のフロリダ州の『サラソタ・ヘラルド・トリビューン』が全然関係のない記事でこの件にひとこと触れていたり、2001年に『ボストン・グロウブ』がごく短い不正確な記事を載せたという例外はあったけれども……。

上記の記事のなかで言及されていますが、『ニューズウィーク・ポーランド版』(2003年3月5日号)が報じた「ブッシュとナチス」の英語訳も紹介しておきます。(ニュージーランドの『スクープ』に6月9日に掲載されたもの)
http://www.scoop.co.nz/mason/stories/HL0306/S00055.htm
Translation Of Newsweek Article On Bush Nazi Ties

注記: 下記の「ブッシュとナチス」は、『ニューズウィーク・ポーランド版』に載ったプレスコット・ブッシュとナチスに関する記事の英語訳である。

ブッシュ家は、アウシュヴィッツ強制収容所で展開された囚人たちの強制労働から収獲を吸い上げていた。米国大統領ジョージ・W・ブッシュの祖父であるプレスコット・ブッシュは、第二次大戦当時、ナチスと金融面でつながっていた。ナチスのおかげで、プレスコットは銀行家として富を築くことが出来たのだ。

プレスコット・ブッシュは「ユナイテッド・バンキング株式会社」(訳注:正しくは「ユニオン」)の社長であり株主だった。この銀行はナチスの産業資本家フリッツ・ティッセンからシレジアン合同製鉄株式会社を取得し、そこでアウシュヴィッツ強制収容所の囚人を働かせていた。

1942年の夏に米国の新聞がブッシュとナチスのこうした腐れ縁を報じるところとなり、米国政府がUBC銀行の会計監査に乗り出した。1020日には政府が同銀行に「敵との交易法」(原文のママ) にもとづく処分を出した。この法律は、194112月の真珠湾攻撃から一週間後にフランクリン・ローズヴェルト大統領が制定したものである。

この銀行は「ナチスへの支援に結びつく活動を行なってはならない」という条件付きで営業維持が許された。1943年になってプレスコット・ブッシュは同銀行から距離を置くようになったが、全米戦争基金の総裁として戦争被害者からの金集めはその後も続けたのである。

なお、「ジェラス・ゲイ」(以下参照)サイトの「ブッシュとナチスの結託 政府公文書で確証」(以下参照)ページには、下の方に「関連記事」として、「CIA、元ナチ将校との情報交換の事実認める」・「シュワルツェネッガー氏の父親『ナチス活動』波紋」・「アウシュビッツを想起せよ―ブッシュ大統領が米国民に呼びかけ」・「CIA米中央情報局 これが『自由』の国? 暗部、次々明るみに」・「CIAが元ナチス幹部利用=冷戦初期のソ連情報収集で-米機密文書」・「米CIA50年代にナチ高官情報を隠蔽 諜報活動を優先」・「収容所、爆撃すべきだった 米大統領、ユダヤ人虐殺で」といったタイトルの記事が載っていました。もし興味がわいたら、あなたも読んでみたら?
INTELLIGENCE ARCHIVES (旧ジュラス・ゲイ)

ブッシュとナチスの結託 政府公文書で確証

2008-08-07

侵入したハッカーは誰か?-3


ところで、情念から開放されるということは、どんなことなのでしょうか?「2012年に人類が進化する?」の中で、知人が持った疑問は、「彼ら」が地球を支配するために、はたして自分の短い生涯をささげる価値があるだろうか?莫大な財産を持って墓場へ行くというのか?ということです、と書きました。私が話を続けようとしているとき、思い込んだらテコでも、という感じで、かなり感情的になってそう言ったのです。私は困惑して、「人間の持つ欲望はそれほど深いんだろうね」、と応えたように記憶しています。

次に「『レプティリアン』が肉体を持つ?」で、レプティリアンは象徴的・比ゆ的なものなのかと思っていた、と書きました。そこでさらに書いたように、肉体を持ったレプティリアンが実際にいるのかどうか定かではないけれど、現実のこの世には、レプティリアンに憑依されたような人間が確かにいるし、別に珍しいことでもないと気がつきました。

例えば、「ブラジルの混沌-汚職・経済犯罪グループ」で取り上げたパウロ・マルーフ氏なども、その典型なのかもしれません(実際に憑依されているか?)。おそらく彼は、自分が死ぬ寸前まで金を儲けたり、地位にしがみつくか、あるいはそれを得ようとしたりする欲望から逃れられないと思われます。そして、政治家(ヤ)にはそんなタイプが結構多いかのかも、と。

マインドコントロール(「HAARP」シリーズ参照)されるされないは別にしても、我々はわりと簡単に思い込みをしやすいのでは?と思っています。そのほうが、つまり、信じてしまうほうが安心できて生きやすいというか、そうでもしなければ心身に不調をきたすかもしれないと。

FRB(連邦準備銀行)は国営である、なんて完全な思い違いもあるだろうけれど、戦争は国家間の対立から自然に起こった。ホロコーストはあった。911テロ攻撃はアルカーイダのしわざだ。キリストは実在した(「『預言者』についても考える」参照)。冷戦は2大強国の対立によって生じた。地球温暖化はCO2排出のせいだ。我々の習った歴史は正しい。主要なメディアは常に信用できる。この世に「ビッグ・ブラザー」の陰謀などありえない。宇宙人はいないか、遭遇することなどありえない、などなどと・・・・実際そうかな?

近年私が得た知識では、我々の脳にはドーパミン・アドレナリン・ノルアドレナリン・セロトニンといった脳内物質があり、それらによって感情が支配されているらしい。やろうと思えば情念もコントロールできるのでしょう。「HAARP」でおなじみの電磁波や人口甘味料によって、気持を静めるセロトニンが出にくくなる、なんていう下の記事もありました。


また、私が実行している「太陽直視」(「2012年に人類が進化する?」参照)では、おそらくセロトニン・メラトニンが増えるために情緒が落ち着き、結果的に免疫力が上がるのだろうと考えています。このへんのことは、「21世紀に大変革は起こるか?-19」に書きました。

感動することは人間にとってもっとも重要なことかもしれませんが、反面、移り気の恋愛・愛情も多いなど、元になる感情は脆弱で不安定といえるでしょう。できるなら、セロトニンを増やして(ここで「太陽直視」を勧めているわけではない。私は問題なしですが、あなたの眼には問題が起こるかも)精神を安定させ、自分に都合のよい思い込みをやめて柔軟に、より開かれた心と視界を持って世界や宇宙を眺める。そういったことではないかと私は思っています。

それに、相手によっては怖いからという理由もあるかもしれないけれど、ときに我々は、相手への思いやりや、議論するのが面倒くさいといったことから、相手の思い込みや政治的なたくらみについうなずいて、それを認めたことにされてしまうかもしれません。とくに日本人には癒し系が多くて、対立するよりも融和を選び、うやむやにすることは問題ナシ、というか、むしろそれを望むように思えます。

間違ったことでも、ウソであっても何回もしつこく言われていれば、いつかそれを検証して、必要なら断固否定しないかぎり、やがてそれは「真実」になってしまうかもしれません。様々な過去の歴史や、日本とっての韓国・中国の歴史認識みたいに。

ということで、私が現在まで体験していること話しました。それで、あなたはすべてが我が妄想だと思うでしょうか?そうかも、と、私も考えてから、ことあるごとにいろいろと再確認してみたけれど、やっぱり現実に起こっているようだ。

さて、あなたはこのハッカーを誰だと思います?そう・・・私はそうだろうと思っています。私の結論は、宇宙人ユミットや他の複数種族のETがすでに地球を訪れていて、住みついているということです。これは私のヨタ・フィクションではありません。1938年にオーソン・ウエルズが火星人襲来と言って、人々にパニックを起こした「心理戦争の実験」(「Monopoly Men」参照)などでもありません。現実のことです。

そして来るべき世界の大混沌に、宇宙人ユミット?は憂慮しているということです。これを書いているうちにそう思えてきたのですが、ユミットはこの文章を書かせたいがために、私にコンタクトしたのかもしれないと・・・・

なんだ、それじゃあ、UFOに乗っている宇宙人が目撃された事例を「科学」的に検証しなくてはならない、という松井孝典教授の主張(「UFOの速度がロケットと大きく変わらない?」参照)を満足してないだろ、ですって? はい、私は生まれて以来、肉眼で空にUFOが飛んでいるところさえ見たことがありまぜん。それゆえ私は、「ごもっとも」、と書きました。正直なところ、統合失調症になっているかもしれない私にもはっきりわかりません。これからなにが起こるのか、それを待っているところです。