2013-10-03

死生観について-輪廻転生と同性愛

死生観(以下参照)は宗教や文化などによって異なるでしょう。 仏教や武士道の哲学は、宇宙人ユミットが主張する「あの世」や「魂のネットワーク」説に当らずとも遠からずといった感じがします。
死生観

最近アップしたいくつかのエントリーによって、論理的に神(神々)が存在しないことや、我々知的生命体の集合意識が世界・宇宙を、そして通説とは逆に神をも創造したことを説明し、我々と世界・宇宙の存在が、実は意識によって生み出されたブツ(幻想)で、いわゆるヴァーチャル・リアリティーモドキであると主張してきました。

さらに以前から、人類の進化イヴェント(以下参照)について多くのエントリーで明らかにし、人類の大半が期待寿命をまっとうすることなく死に直面しなければならないことを話しました。したがって、人々のために残された選択はわずかなものです。つまり、いつ死ぬか?そしてどのように死ぬか?といったような問題になるでしょう。進化イヴェント後の世界を引き次ぐ新人類を除き(もちすべての新人類が生き残れるという意味ではない)、なんぴともこの運命を逃れることはできません。
人類進化イヴェントとはなにか?

この進化イヴェントの話を私のタワゴトだとして信じたくない人々にとって、以下はもち読む価値などないことでしょうし、みなさんに読んでもらえたとしても、このエントリーでもっともらしいことを説得したり説教したりする意図などありません。残された時間をどのように過ごすかは、もちろんみなさんしだいです。そんなことで今回は、我々の生死について考えてみましょう。

「この世」では、死んでも我々の魂(意識)は不滅だと信じるか。あるいは、死ねば魂は消滅してしまうという二つの考えがあります。天国と地獄の存在を信じるなら、魂は不滅でなければなりません。しかし宗教によっては、死を忌(い)み恐れるようです。たとえばクリスチャンは自殺を否定し、死を受け入れることを最後まで拒否するようです。武士道の信者とかは別にして、普通、人々は死に対して希望のない戦いさえ挑みます。そのため「無駄な治療」(以下参照)や、その結果としての尊厳死なんて問題さえ起こります。
医師らはどのように死んでいくのか - How Doctors Die -

ペテン宗教なら、信者を支配し搾取するための手段として、さらに神の存在を信じ込ませる目的から、例えば死がおどろおどろしいこと、恐ろしいことだと刷り込むでしょう。また、多数の宗教家・思想家・政治ヤ・市民運動家などが命の尊さを主張するけれど、なぜでしょうか?そのもっとも大きな理由は、「失われた命は二度と戻らない」などと言うように、死によって自分(魂)が完全に消滅してしまうという恐れなんでしょう。
70年間飲食していない」は真実か?(参考)

たぶん我々の誰にでもそんな経験が一度はあると思います。何十年も前のことだけれど、胃腸の不調あるいは原因不明な鋭い頭痛とかに悩まされたとき、ガンや致命的な病変の可能性を疑って眠れぬ夜をすごしたことがありました。病院のベッドに横たわってメスで切られる自分や、死に直面する自分を想像して(死を)恐れたことがあります。

いくらかの宗教や哲学の資料を読み、あるいは死に直面し、恐れを克服した人々が残した手記とかを読んだとき、それらに感心したとしても、今一つ説得力に欠けているように感じられます。要するに、誰も死についての(科学的に)正確な答えを持っていないからです。いずれにしても、今ではそんなことを感じることなどありません。ちなみにインディアンの死生観でも、死への恐れがまったくないということらしい。
インディアンの死生観

すでに明らかにしたように、私の理解によると、人間の体は魂(意識)の「この世」(実際はヴァーチャル・リアリティー)での乗り物にすぎません。魂(意識)は死んだあとも消滅することなく「あの世」で存在し続けます。すなわち人間の生涯とは、「この世」で一時的なヴァーチャル・リアリティーの肉体を持った意識が(良くも悪くも)経験を積むという行為であって、それを終えたあとは元の所在地(「あの世」の「魂のネットワーク」)に戻るということなのでしょう。魂が抜けたのちの遺体は単なる肉塊にすぎません。

それにもし、人間が持っていない特別な感覚器を備えた想像上の第三者が見たとすれば、我々の肉体は、まさにアセンション・オタクが主張する、次元上昇したあとの姿のない「スピリット体」ということになるでしょう。つまり真実の肉体は、次元上昇などしなくても「非物質」であり、幻想にすぎないのです(以下参照)。
我々は物質で作られていない

さらにいえば、いわゆる輪廻転生は実際に起こりえるのでしょう。未練を残した前世と違った人生に再挑戦できそうなのです。というのも、互いに会ったことも情報を得たこともないにもかかわらず、死亡した人たちの(説明できない)記憶を持った人たちが少なからずいます。なぜそんな「転生」が起こるのか?さらに同性愛ないし性同一性障害という不可解な現象があり、同性愛者が増加傾向にあるようです。なぜそんなことが起こっているんでしょうか?
転生

http://karapaia.com/archives/52219990.html
「生まれ変わり」は本当にあるのか?前世の記憶を持つ6人の子供たちのケーススタディ

誰かが死んだあと、その魂はすぐに「あの世」の「魂のネットワーク」の中で他の魂と一緒になります。しかしたとえば、もしその人が不慮の事故や深刻な病気などによって死亡し、その魂がもう一度別の生涯を始めたいと強い意志でのぞめば、それは実現されるかもしれないのです。すなわち上記の現象(転生)のように、結果的に「この世」で生きる二度目のチャンスを得られるかも。なぜなら「あの世」の魂の供給量が、コントローが効かない人類の人口増加に対応するためには少なすぎるからでしょう。

同性愛の問題に関しては、この二度目のチャンスを与えられたとき、魂の性別とこの世で生きるために与えられた人体の性別が一致しなかったことによるのかもしれません。この意味では、同性愛(という現象)は、肉体が魂の単なる入れ物にすぎない、という上の主張の根拠にもなるでしょう。ちなみに人間(知的生命体)の魂が他の動物、例えば犬や猫の魂になって生まれ変わるということはありえません。ユミットによれば、そういった動物にも固有の「魂のネットワーク」があるということです。

さて、進化イヴェントに関して基本的なことを再度ここで強調しなければなりません。それは「彼ら」によって起こされるNWOの陰謀と、迫る第三次世界大戦はさほど重要ではないということです。この陰謀は、イヴェントを完遂するために「あの世」が用意したツールに過ぎないし、「彼ら」は「あの世」の意思によってコントロールされているに過ぎないのです。

それでは、「彼ら」はNWOを完結できるでしょうか?例え「彼ら」が巨大な地下シェルター(以下参照)へ避難して生き残ろうとしても、そのチャンスは全くありません(以下参照)。それに「彼ら」がエゴをゴリ押しすればするほど、それに比例して「意識の葛藤」が増すはずで、NWOに対する反抗が強まるはずです。
早老症が現生人類の行く末か?
人類進化イヴェントの別兆候
「意識の葛藤」とは?

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