2014-01-01

なぜ光速が一定で上限なのか?

前回はアインシュタインの理論が誤っていることを指摘しました(以下参照)。今度は、なぜ光速が一定で速度の上限になったのか?それについて説明しましょう。
エセ大天才アインシュタイン-理論物理学は虚構

まず光速測定の歴史を参照しましょう。以下によれば、1983年、真空中の光速が30km/sec299,792,458 m/sec)に定義されたということです。それはマイクロ波やレーザーを使用して測定されたという(以下参照)。
光速

フィゾーが光速度を測定した方法(1849年)

「レーザーによる光速測定」

さて、宇宙の万物は、知的生命体の集合意識によって創られていると繰り返し当ブログで説明しました。そして光子は「超球」モデルの一時的な姿でしかないし、その超球は、要するにディスプレイのピクセル(画素)であって、それ自体が運動することはないということです。以下参照。
超球理論と10次元の双子の宇宙(改訂版)

例えばレーザーによる光速の測定では、発射されたそれが反射して帰ってくる時間を測定したと主張します。しかしながらレーザーの光(超球)は運動しません。「超球理論」で普通に考えるなら、超球の一サイクルで光子になるのは一度なので、(もし偶然同じ光子を見たとすれば)測定するための距離によって超球の回転速度が変化しなければならないだろうし、あるいは別の光子を見ているのかもしれないのです。でも偶然に都合よく光速が一致する別の光子を見ることなど不可能でしょうね。

では、どうして測定結果が一致するのか?光子(超球)も意識の創造物に過ぎないからです。したがって、「シュレーディンガーの猫」の解釈が成り立つのです。つまり人類が光速を30km/secと認識したそのときから確定したもので、超球のメカニズムにはよらないということでしょう(それに超球は、説明するためのモデルでしかない)。万物は知的生命体(人類)の集合意識が認識した時点で確定するんです。
シュレーディンガーの猫

要するに光速は、全人類が認めさえすればどれくらいだろうとかまわないのです。例えば人類以外の、どこかの惑星の知的生命体が光の速度は無限である、あるいは光は動かないとしても、それはそれで正しいのです。なにしろ光でさえ集合意識が創り出す幻想にすぎないのだから。以前、恐竜のことについて取り上げたことがあるけれど(以下参照)、結局のところ、人類が初めて恐竜の化石を発見したときから恐竜とそのさまざまなヴァリエーションが出現したのでしょうね。
地球の歴史に恐竜は存在しなかった?(訂正版)