2009-02-23

山本五十六はアメリカのスパイだった?

みなさん、先月アップしたエントリー、「2月の日本に人工地震?」で参考にした「黄金の金玉を知らないか?」ブログで、親愛なるふぐり玉蔵氏のポートレートを見て以来、いつだったか、どこかで同氏とお会いしたような気がすたんです。それとも他人のそら似かなぁ・・・・って。

それで、最近やっと誰だったか思い出しますた。その人物の写真を見つけたので下へ貼っつけておきますた。玉蔵さんはフンドシ愛好家でらっしゃるようだけど、デカパンでもお似合いではないかと思えます(シマシマよりも花柄のほうが似合うかな?)。しろーとでかつ身のほど知らずながら、氏のファッションについて口出しいたしますた。どうもほんとうに申しわけなく失礼いたしますた。


ってなことは、どうでもいいとして、拙ブログのエントリー、「『彼ら』が世界大戦を引き起こす方法とは?」で取り上げた真珠湾攻撃の話に関連し、同「金玉」ブログで最近アップされた「何のためでしょうか」には、第二次世界大戦は、まぁ知っている人は知っているのですが、海軍の上層部、山本五十六、米内光正、井上成美さんがコロッと洗脳されてしまって、日本敗戦への先導役を務めたというのは、まぁ知ってる人は知ってることなのですた、と書かれていますた。

やっぱりこの情報のソースは、ガセネッタ岡さんからなんかでしょうか?ワタスはガセネッタさんが、もしかすたら我がパソコンにへばりついてるハッカーのお友達では?と思ってます。それで、このことをちょっとだけもう知っているみなさんのために、ちょっとだけ詳しい情報を得るためにググってみました。そんなことで見つけた記事の中から、次のヤコブ・モルガン著の「山本五十六は生きていた」の引用を、補足情報として以下に紹介しておきましょう。

日本帝国海軍に中枢は欧米派で色どられ、その内なる主要な人物はユダヤ・フリーメーソンですらあった。このため、日本海軍はあらゆる太平洋上の戦闘で不可思議な動きをする。それは、敵に手ごころを加え、まるで、負けることを目的としたかの如き戦いぶりであった。また、日本陸軍についても同様のことが言えた。大本営参謀本部の高級参謀たちはつねに無謀極まる作戦計画を立てては日本軍に多大な損害を与え、多くの将兵を失う結果を招来した。

国家としてあろうことか、日本はこのような売国的戦争指導者たちによって太平洋戦争を戦わなければならなかったのである。欧州では昭和14年第二次世界大戦が勃発していたが、欧州で苦戦を続ける英仏を救済しアメリカを参戦させることはフランクリン・D・ルーズベルトの基本戦略であった。ルーズベルトはチャーチルと共謀し、日本を追い込み、先に攻撃を仕掛けさせてアメリカの世論を激高させ、対独伊戦、対日戦を正統化しようと目論んだ。

フリーメーソン山本五十六はルーズベルトとチャーチルに協力してハワイ真珠湾攻撃の構想をねった。真珠湾に集結していた戦艦はいずれも1910年~1920年代に就役した旧式艦で攻撃しやすいように並べて停泊してあった。また真珠湾は海底が浅く、海底に沈座しても引き上げが容易で短期間で修理可能であった。真珠湾攻撃は一種の茶番劇であった。

宣戦布告の通知の遅れたのも仕組まれたものであった。大使館員全員無神経怠慢な動きをとっていることは、無能な集団でない限り確信犯である。戦後、その責任についてはこれもフリーメーソンの吉田茂にうやむやにされてしまったが、当時の大使館員達は「功労者」としてその後栄進している。

また、真珠湾の陸上軍事施設対する攻撃不徹底も、アメリカ空母が真珠湾にいなかった日を真珠湾攻撃の日としたことも山本長官の策謀である。ミッドウェーで山本長官がなぜ空母のみを突入させ、自らは戦艦とともに安全圏にいたかは謎であったが、山本長官はルーズベルトやチャーチルとの約束により、ミッドウェーで日本の空母を壊滅させ次のガダルカナル、ソロモン海戦で日本軍敗北の総仕上げを行い、自らはブーゲンビル上空で戦死の狂言を実行し逃亡する。

昭和18年4月18日、山本長官は二番機の宇垣参謀長と一緒にラバウルを離陸したが、この日長官はなぜか草色の略装をまとい、護衛機を増やすことも反対した。長官の一式陸攻はブーゲンビル島上空でP38攻撃機16機に撃墜され、宇垣参謀長機は不時着した。大本営発表の死体検案書によると顔面貫通機銃傷があったとの記述があるが、墜落現場を最初に発見した浜砂少尉は傷も出血痕もなかったと証言している。

山本長官は帝国海軍崩壊のための役割をすべてはたし、暗号をアメリカに漏洩し機上死のペテン劇を演じたのである。共謀は宇垣中将(参謀長)と渡辺中佐(参謀)である。当日山本長官はジャングルを目立たぬように草色の軍装をまとい、米軍機攻撃の際いち早くパラシュートで脱出、かねて打ち合わせのガダルカナル米軍基地へ逃亡した。

事故機には風貌の似た男が毒殺されていたため、顔面の傷も存在しなかったが、山本長官の死を機上死とねつ造するため、遺体に死後損傷を加えたと推測される。検死の田淵軍医も渡辺参謀に一喝されてワイシャツもぬがせずに検死しており、すべて渡辺中佐の命令のもと「機上壮烈なる戦死」が演出された。宇垣はこののちも生き延び、終戦の日に米艦隊に突入すると飛行機に搭乗して行方を絶っているが、これも姿を消したと言うべきか。


今ちょうど、知人から借りてきた去年の「文芸春秋」10月号に載っていた記事、「新・東京裁判」を読んだところです。半藤(昭和史研究家)・保坂(ノンフィクション作家)・戸部(防大教授)・御厨(東大教授)・福田(慶大教授)・日暮(鹿児島大教授)というお歴々が、あーだこーだと「東京裁判」について議論しているわけですが、的確な疑問を呈するものの、イチバン肝心なことは出てこない。

拙ブログで取り上げているようなことを知ってか知らぬか、あるいは陰謀話などに触れるのは、権威ある学者のコケンにかかわるゆえアホラシイ、と無視しているのか?それとも社会的・職業的、あるいは物理的に抹殺されることが怖くて触れられないのか?もっとはっきり言っちゃえば、「彼ら」によって洗脳されているとか、コントロールの下にあるのだろうか?

わたしはこの記事を読んでいて、今まで得た情報からすれば、それこそアホラシイ議論と思えてきます。彼らのスバラシイ?見識と頭脳なら、現在ネットにころがっている情報やらを、狡猾なハリマンと「彼ら」の大陰謀をマジに検証したとするなら、日本がなんとなく?起こしてしまった戦争の不思議さや、単に戦争に負けたからとしか説明できない東京裁判のいい加減さや、ご都合主義・インチキさを、そしてなぜかと問う多くの出来事が容易に説明できるはずだと思えるからです。

それらは、例えば同記事中の、ある意味で東京裁判とは、昭和天皇を法廷という舞台に立たせないためのドラマだったとも言えますね、とか、どうしてああいった戦争を起こしたのか、ということを改めて考えさせる、といったことでしょう。そして「陰謀xxxx箱」にも次のような文章がありました。

南京虐殺、従軍慰安婦問題の「事実関係」問題・史実確認問題とは全く無関係に、「ひたすら対日封殺のための攻撃兵器」として、この問題を悪用・使用しようとする中国筋の姿勢、米国筋の姿勢には、日本は一切耳を貸す必要は無い。特に原油・鉄鉱石・鉄クズの対日禁輸により日本を戦争に追い込んで行った米国、さらに広島・長崎への原爆投下による日本人大量虐殺の犯人・犯罪者である「加害者=米国」に、「日本の戦争犯罪」について語る資格は、一切無い。

中南(ママ)米の先住民(蔑称インディアンと呼ばれて来た)の皆殺し、日本への原爆投下等、「米国自身の戦争犯罪」について100万回非難決議を行い、賠償を行った上で、初めて米国は「人権」について口にする資格を得る。殺人事件の裁判において、殺人犯人に、裁判長の席に座る資格など、一切無い。

2009-02-09

ノーベル賞はなんのため?

引き続き「二十一世紀のファウスト」を引用して話をしましょう。前回までのシリーズでは、赤十字社が「彼ら」によって設立されたということも話しました。余談ながら、興味があって調べたところ、赤十字社の創設に関与していたとばかり思っていた、あのクリミア戦争のナイチンゲールが、むしろそれを避けていたということでした(「ウィキペディア」参照)。なんか同社がプロパガンダに利用したようです。

そして私がもう一つ注目したカムフラージュ手段らしいのが、日本の科学界なんかでもそうなんでしょうけど、どうにもアヤシイ選考基準と思える平和賞がイッコあるだけなので、とにかくハク好きのお隣さんが他の分野でも是非とも欲しいと思っているらしい、あのノーベル賞のことニダ。で、同書の第三章、123ページに次のような記述がありました。

一九四〇年六月十日。ノルウェーはドイツに降伏した。フィンランドはソヴィエトに占領された。しかしフィンランドとノルウェーの中間に位置するスウェーデンは中立を維持しえた。歴史学者の中にはスウェーデンが中立を守っていたからだと馬鹿げたことをいう者がいる。フィンランドもノルウェーもそれを望んでいた。しかし占領された。どうしてか。答えはいとも簡単である。

この国にノーベル産業があり、火薬と兵器をイギリスとフランスの両陣営のみならずドイツ、ソヴィエトの陣営にも提供していたからである。「アルフレッド・ノーベル社」はイギリスに「ICI」を設立した。ノーベル産業は二つの会社を使い分けて、ドイツと連合国軍に火薬を売りつけていた。一九三九年十一月三十日、ソ連軍はフィンランドに侵入した。ルーズヴェルト大統領は「この恐るべきフィンランド略奪」と叫んだ。

フィンランドはアメリカにドル援助を依頼した。「そのドルでスウェーデンから兵器を買うためだ」と言った。一九四〇年年四月、ドイツ軍は軍用船でノルウェーに侵攻した。デンマークと同じように数週間後には完全に占領された。スウェーデンだけは無事であった。スェーデンからドイツとソヴィエトは武器を買っていたからだ。それだけではない。このノーベル賞の国はイギリスと組んで戦争を仕掛けた黒い貴族たちが住む国だったのである。

ユダヤ王ロスチャイルドとノーベル家がノーベル平和賞を決定するのである。戦争と平和はこの黒い貴族たちが決定する重要事項である。中立国とは黒い貴族たちの最終的な避難国である。彼らは死の嘆きを交わしつつ割れ目や亀裂を平和の地に作ろうとする。そして乱を演出して平和を取り戻す。その時に、ノーベル平和賞や経済学賞を用意する。彼らの『平和』に貢献した者たちへの褒美のために。

我々はというか、少なくても私は、ノーベルがダイナマイトという、結果的に人類に災禍をもたらすものを発明した悔恨の表明としてノーベル賞を設立した、というような「美談」?を長いあいだ信じていました。しかしながら同書を読むと、まったく違った印象になっています。そもそも私は、現在のノーベル産業がなにをやっているのか知らなかったわけで、上のようなことをあらためて指摘してもらえば、タスかにそーかも。いや・・・むしろ当然といえばとーぜんのことだったのかな?まあ・・・ノーベル「平和賞」という作られたイメージにたぶらかされていたんでしょうね。

そして、J・シフを背後で操り、実際の資金を提供したのは、ユダヤ人財閥のロスチャイルド家であった。ロスチャイルドの代理人J・シフのクーン・ロブ商会と同様に、ロスチャイルド家の有力代理会社に「パンミュア・ゴートン商会」がある。この商会はあのノーベル賞で有名なノーベル産業(武器製造メーカー)とも密接な関係にあった。

クーン・ロブ商会がアメリカで、パンミュア・ゴートン商会がイギリスで、ロスチャイルドの代理会社の役を引き受けて日本の公債を売った。日露戦争はノーベル産業とロスチャイルドの連合体の策略のもとに起こったのである、という、これまた知らなかったノーベルに対するチクりです。

さらに50ページには、ノーベル賞はユダヤ王ロスチャイルドとダイナマイト産業のノーベルが彼らの意に添った人間に授与する。特に平和賞は「見えざる政府」の重要な一員になったことの証となる、って書いてあるけど、すると佐藤栄作さんなんかはもちろんそんな感じで、冒頭に挙げたように、「ニダ」さんとこの平和のヒーロー、キム・デジュン(金大中)さんもやっぱりそうか。アル・ゴアさんは大ボラを吹いているようだし(「洞爺湖たぶらかし環境サミット」参照)。

ところで脱線しますが、ゴア氏のCO2温暖化説について、私は稼ぐためだとばかり思っていたけど、もっと深い理由があるのでは?と思えてきたんです。なにかを隠すためではないかと。でも、そいつはもっと確信が持てるまでのお楽しみ?としてあっちへ置き、このあと続けて読んでいくと、以下のような記述がありました。

スウェーデンのアルフレッド・ノーベルはダイナマイトの発明で巨利を得た。彼の遺言でノーベル賞が制定された。制定委員の大半はロスチャイルド、ベーリング等の黒い貴族たちの中から選ばれた。この賞は、今日においても見えざる政府の力が働いている。日本人のほとんどは、この賞が尊いものと信じ込み、疑うことさえしない。しかしヨーロッパやアメリカで歴史の真実を知る人たちは、この賞の秘密を知り、この賞から遠ざかっている。
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ハロルド・ラスキーとジョン・メイナード・ケインズはイギリスの貴族たちが、自分たちに都合のいいように創り上げた御用経済学者であった。私はラスキーとケインズの経済学の本を読んでみて、この二人の経済学者は、世界を戦争に導くために、拡大経済を世界に広めるためにのみ、本を書いたと思うようになった。この二人の御用経済学者も今はもう過去のものとなったのであろうか。あのノーベル経済学賞は、この二人の経済学の延長線上にある者のみに授与されている。自然経済学や縮小経済学を説く者たちは、ノーベル賞は決して貰えない。
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ヒトラーはボールベアリングが手に入らないから戦争は不可能だと見えない世界政府の使者に告げた。ハリマンはアチソンに処置を命じた。SKF(スウェーデンの世界最大ベアリングメーカー)のアメリカ工場はフィラデルフィアにあった。アメリカはこの工場が敵性施設にリストされると政治力を発揮し、部下たちを使いリストからSFKを外した。J・P・モルガンとロスチャイルドはハリマンの要請を受けてアチソンに全面的に協力した。かくてヒトラーは第二次世界大戦中ボールベアリングをSFKから貰い受けた。これが戦争なのだ!

同じSFKのボールベアリングを使用した高射砲をドイツの軍人もアメリカの軍人も撃ち合って死んでいったのである。いいタマだ!SFKのボールベアリングは。このSFKとダイナマイトのノーベル社がスウェーデンの兵器産業の代表格である。この二社は見えざる世界政府と地下深く結ばれていて、ナチス・ドイツを戦争に導き入れ、日本に真珠湾攻撃をさせたのである。ノーベル賞とは何か。見えざる世界政府に貢献した者に授けられるダーティこの上ない賞である。読者はノーベル賞を少しは理解できたであろうか。
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ここでもう一度歴史を遡ってみる必要がありそうだ。ルーズヴェルトはユダヤ王ロスチャイルドの血族にして配下のバーナード・バルークに育てられて大統領になったことはすでに書いた。ルーズヴェルトは大統領になる前からバルークの作文を大衆の前で読み続けた。

「ソヴィエトの力を平和へと結びつけよ」バルークはユダヤ系の新聞「ニューヨークタイムズ」のモスクワ特派員を大統領となったルーズヴェルトの執務室に行かせた。ウォルター・デュランティと名のる特派員はスターリンの部屋に入ることを赦された特別の男であった。さよう黒い貴族たちの回し者だった。スターリンの口述をとり世界にニュースとして流すのはこのデュランティだけであった。彼はモスクワ報道でピューリッツアー賞を受賞する。あの賞もノーベル賞と同様黒い貴族たちが授ける賞である。

そして以下の記述には、というか、渡部悌冶の「ユダヤは日本に何をしたか」(旧題・攘夷の流れ)の中の一文を記す。渡部は戦前、当時のユダヤ研究の最先端機関であった「国際政経学会」の監事を務めた、とするメガトン級のチクり文章には、再びオドロ木・モモの木・核ヘイ木そのものでした。とても信じられる話じゃないけれど、もしこれがヨタガ木(書き)でないなら・・・広島・長崎の原爆に日本人自体がかかわった可能性もあるってわけ?

戦時中、日本で一日も完成が待たれていたマッチ箱一つの大きさで戦艦一つを沈めるといわれていた新兵器は今日でいう原爆のことであった。そして仁科芳雄博士の研究では実験段階ですでに完成していた。しかし、その基礎理論が完結をみないでおり理研内では研究員たちが手分けして研究にあたっていた。

それが一応のまとまりをみたとき、これを一つの学説としてはどうかという案も出たが、軍の機密に属することでもあり、早計に外部に洩らしてはならぬという仁科博士の意見で発表は厳禁された。ところがそれを、当時理研にいた湯川秀樹が米国に売り渡したのである。米国は終戦後、湯川の功績の論功行賞としてノーベル賞を授与させている。日本の利益にならず米国のためになったことで褒美がもらえたのだ。まさに国賊である。

戦後アインシュタインは平和の使徒のような顔をした。そして黒い貴族の理論的リーダーの一人バートランド・ラッセル(ノーベル文学賞受賞)と謀り、湯川秀樹(ノーベル物理学賞受賞)を誘い平和委員会を作り、原子爆弾反対の平和運動を展開した。湯川秀樹は平和の使徒の役割を黒い貴族たちから強制され続けた。戦後の日本のインテリ達がハロルド・ラスキーと並んでもてはやしたのが、このバートランド・ラッセルである。

この男は女たらしでいつも借金だらけだったのでユダヤ王ロスチャイルドのいいなりだった。平和運動をいつのまにか世界統一政府構想に結びつけた。日本の馬鹿どもも世界は統一された政府のもとで統一されるべきだと騒いだのである。ラッセルはハロルド・ラスキーとともにアメリカに共産主義を導入しようとしたコミュニストの一面を持つ。一時ラッセルはスターリンの帝国に原子爆弾を落とせと騒いだ。この男がラッセル平和財団を作るのである。

ということで、かなりきつーくチクっています。もひとつオマケに引用すると、ピアードは夫婦で大著「アメリカ文明の興起」を書いた後に「アメリカ精神の歴史」を書いた。ルーズヴェルトの戦争を批判する本を書き出版会から葬り去られた。彼はマルクス主義がアメリカに与えた悪影響について冷徹な目で批判し続けた。戦後ロックフェラー財団やCFRはイギリスの「黒い貴族たち」と組んで国際主義や世界連邦という言葉を流行らせようとしていた。

ビアードはこの言葉の持つ恐ろしさをしり警告し続けた。そしてついに歴史学者の地位からも追放された。ファイスがビアードの地位を奪ったのである。やがてファイスは「ピューリッツアー賞」を授与された。ピューリッツアー賞もノーベル賞も「黒い貴族たち」や「合法的マフィア」の思惑の賞なのである、という記述もありました。

それで、ノーベル賞について「ウィキペディア」を参照してみたところ、次のようなことが書かれていました。

日本人としては、第1回から北里柴三郎や野口英世などが候補としてエントリーされていたが、受賞はしなかった。北里にいたっては、共同研究者であったエミール・アドルフ・フォン・ベーリングが受賞したにも関わらず、抗毒素という研究内容を主導していた北里が受賞できないという逆転現象が起こっていた。これは後年に公開されたノーベル財団の資料から、北里が黄色人種であったことが原因と判明している[要出典]

また、山極勝三郎と市川厚一は、ウサギの耳にコールタールを塗布し続け、1915年に世界初の人工癌発生に成功したが、1926年のノーベル賞は癌・寄生虫発生説のヨハネス・フィビゲルに授与された。世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎は、ドイツ語への翻訳で「世界初」が誤って記されなかったため注目されず、1929年のノーベル賞を逃した。

また、1970年に大澤映二・豊橋技術科学大学教授はフラーレン (fullerene C60)の存在を理論的に予言したものの、英語論文にせず邦文でのみ発表したため、1996年のノーベル賞を逃し、顛末は当時の雑誌(Nature 384, 608 (26 December 1996))にも掲載された。

文学賞は西側の文化や主張を取り入れた作品が多く受賞したので批判があった(近年是正されたが「大陸持ち回り」との批判が出ている)。文学賞は歴史書や哲学書も受賞したことがあったが、イギリス元首相ウィンストン・チャーチルの「第二次世界大戦回顧録」の受賞が選考対象の定義をめぐって論争になり、これ以降純文学に限るとした。

平和賞は戦争を起こした当事者が受賞して批判になった。ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー元米国務長官と北ベトナムのレ・ドゥク・ト元共産党書記がベトナム戦争終結を約したパリ協定の功労による平和賞を受賞したが、レ・ドゥク・トは受賞拒否して戦争も続いている。1945年に国連創設の功労で授与されたコーデル・ハルは日本に対米開戦を決意させたハル・ノートを提示した国務長官である。

平和賞は受賞した人の国から反発されることがよくある。その例として、ドイツのカール・フォン・オシエツキー、ソ連のアンドレイ・サハロフ、チベットのダライ・ラマ14(彼の場合反発はチベットを支配している中国からである)、ミャンマーのアウンサンスーチーが有名。

だからといって、受賞者は辞退するニダ!などと僭越なことを私はここでヌカスわけじゃなくて、ハクのつくナントカ賞や「権威」という得体の知れないものには、何事にもウラがありそうだ、と言いたいだけです。ところで核兵器の基になった研究もそうだし、LHCの危険性(「LHCに進入したハッカーは誰か?」参照)やノーベル賞受賞者、小柴氏のニュートリノ実験も、まだ検証されてないとはいえ、以下のような現象があるかも、ということらしい。

となれば、素粒子の研究も人類にとって偉大な科学の進歩どころか、滅亡への最後の一歩になりかねないでしょう。そして、どうもその危険性が限りなく高まっているようです。どっちかっていうと、そんなやばい兵器・装置やガラクタ金融理論になるノーベル賞より、(多少アレな感じがあっけど)イグノーベル賞(「イグノーベル賞」参照)受賞なんてほうが実際に役立ちそうな気もする・・・・?